今回から私が劇場で124回視た『アナと雪の女王2』について語っていきます。またお付き合いいただけると幸いです。
まずは前回までの「レリゴー」解説を読んでいただいた方、ありがとうございました。前後編合わせて3万5千字ほどあり、読むのが地獄で本当に申し訳ない…
それなりに好評をいただいたのですが、書く方も気合を入れ過ぎてかなりしんどかったので、今回から特集という形で記事を小出ししていこうかなぁと。『アナ雪』については書く事いっぱいあるので、題材には困らなそうですし。
書きたい時に書きたいものを投稿していくので、前回までのようにガッツリとしたものにはならないかもしれませんけど、よろしくお願いします!
- 『アナ雪2』は前作へのアンチテーゼで作られている
- 変わるのは怖い、でも変わらなきゃいけない
- アンチ「Let It Go」な「Into the Unknown」
- 【進化「Let It Go」】な「Show Yourself」
- 「今できること」をするアナ
- エルサの魔法は攻から守に
- 別れる姉妹
- 本当の意味でのエルサの解放
『アナ雪2』は前作へのアンチテーゼで作られている
私が『アナ雪2』を見て思ったのは、これは前作のアンチテーゼだなと。
「アンチテーゼ」とは、ある理論・主張を否定するために提出される反対の理論・主張のことです*1。
つまり、前作の否定ってことになるんですが、それだけでは終わらないのがこの『アナ雪』という作品の良さです。否定するだけでなく、それにちゃんと意味を持たせてより昇華させているのです。
今回はこのアンチテーゼを中心とした説明をしていきます。
とりあえず両親のフォローします!
魔法に対するアグナルの描写の変化
映画冒頭は楽しく魔法で遊ぶ幼いエルサとアナのシーンから始まりますが、そこにひょっこり「何してるんだ?」と現れるアグナルとイドゥナ。穏やかな表情からして、魔法で遊ぶことを咎めに来たわけではないのが分かります。
前作では「もう手に負えない!」と魔法への恐怖心を見せていた両親でしたが、それとは雲泥の差の登場シーンですね。これも前作へのアンチテーゼと言っていいでしょう。
前作での幼いエルサとアナは、両親に怒られるので隠れて魔法で遊んでいたような印象を抱いてしまうのですが、今作の両親の描写を見ると魔法で遊ぶことに関しては全く問題視していなかったということになります。これも両親の描写の変化です。
しかし、こう両親の魔法へのスタンスが変化してしまうと、前作でエルサを閉じ込めるような対応をしないように思いますよね。そこは今作のメイン要素となる「魔法の森」で辻褄を合わせてきています。
アグナルは「魔法の森」での出来事を語りますが、彼は魔法に魅了されたのと同時に死にかけるほどの怖い目にも会っていたことを教えてくれます。この彼の体験から考えると、アグナルは「エルサの魔法」を恐れていたのではなくて、魔法があの時のように牙をむく可能性を恐れていたということになるのでしょう。
私はレリゴー解説で、エルサに手袋をはめさせてまで魔法を隠そうとしたのは「愛ゆえの恐れ」と述べましたが、アグナルは正に愛するエルサを魔法の牙から守ろうとしたと考えて良さそうです。
魔法の森が霧に閉ざされたことで王国は安全だという両親の認識は、後に王国の門を閉じたことにも繋がってきそうです。アグナルらは魔法の森事件と同じように、それを閉ざせばエルサの魔法も暴走することなく安全であるはずだと考えたのでしょう。
アグナルの魔法の森についての語りは、本作のストーリーベースを説明する要素でもありますが、それと同時に前作の補完と両親へのフォローが多く含まれているのではないでしょうか。
エルサを抱き上げるイドゥナ
前作では喋るシーンもほとんどなかったイドゥナさんですが、本作では重要キャラクターとして破格の待遇を受けております(良かったですね)。
そんなイドゥナさんは冒頭シーンでも大きな役割を担っています。子守歌として、本作のキーソングとも言うべき、「All Is Found(魔法の川の子守歌)」を歌います。エルサとアナを寄り添わせているところは、母として二人の子への愛情が非常に表れていると言えるでしょう。
特にアナが眠った後に甘えるエルサを抱き上げるシーンは前作とは真逆とも言っていいほどの愛に溢れています。
前作のエルサは魔法の存在ゆえに両親に甘えることすらできなかったような印象で、「Let It Go」の歌詞からしても顔色ばかり窺ってたんじゃないかと感じましたが、決してそんなことはなく、お母さんが大好きな子だったようです。
イドゥナも同様に、前作では見守るだけだったり、魔法の力に怯えるエルサを抱きしめることができませんでしたが、本作ではしっかりとその腕で抱きしめています。エルサもとても幸せそうです。
この直後に、あの悲劇*2が起こると思うと結構悲しくなりますけどね…。オープニングのエルサは、両親と過ごした最後の幸せだった夜を思い出していたんでしょう。
このように冒頭シーンは単なる説明や回想でなく、前作では希薄な印象を受けた両親の愛情を描いていると言えるでしょう。
悲劇で始まった前作の反転(アンチ)でもあると思います。
エルサのためだった航海
ちょっと後半に飛んじゃいますけど、両親が航海に出た理由もフォローであるといえます。
前作では2週間後に帰るという台詞などからしても、諸国外遊等の王家としての務めのような印象でした。しかし、実は魔法の源を突き止めるための航海でした。
後付け設定ではありますが、私は直前のエルサと両親のやり取りからしても魔法の対処等の現状打破の為にどこかに頼りに行ったんじゃないかと解釈していたので、このエルサのための航海だったというのはかなり納得感があり、両親のフォローとしてはいい持っていき方だと思いました。
城の門を閉じて、エルサの魔法を隠すという対処しかできなかった両親が実は我が子のために命を懸けて旅をしていたというのは、前作への両親のアンチテーゼと同時に昇華させているといえるでしょう。
特にアグナルに「エルサのために…」と言わせたのは大きいでしょう。前作ではエルサの魔法を恐れ、下手するとエルサそのものを恐れていたと見られてもおかしくないアグナルがしっかりと父親としての愛があったと分かる台詞ですからね。
まあ、いくら愛があったとしても前作の対応は間違ってることに変わりありませんが。しっかり、反省していただきたいところです。でも、思わせぶりなことを言うだけで何もしてくれない上に反省した様子も見えないパビーに比べれば、身命を賭してまでエルサを救おうとしただけ遥にマシです。
両親に関してはこんなところでしょうか。ぶっちゃけ、本作はこの両親の描写に限らず、後付け設定まみれなので違和感を覚える部分が結構あるんですよね…。
しかし、今回はそれには目を瞑り「忖度エンジン*3」をフルバーストさせて解説していきます。
変わるのは怖い、でも変わらなきゃいけない
アンチテーゼというのは作品や続編を作る上での肝ではあるのですが、同時に今までとは違うことをやるわけであり、特に続編ではその作品の世界が好きなファンの反感を買いやすいという要素があります。
『アナ雪2』も決して例外ではなく、下手な事をすると世界中から大批判を食らってしまいかねない…。だからといって、前回と同じ事をしても続編の意味が無い。
結果的に、2は世界観やキャラクターをなんとか壊さずにアンチテーゼを取り入れることに成功したと言ってよいですが、それでも好きな作品が変わってしまうのはなんとなく嫌だったり、怖かったりしますよね。
じゃあ、どうするか…っていう悩みを解決させたのが、ほぼ登場キャラクター全員で歌う「Some Thing Never Change(ずっとかわらないもの)」です。
キャラクターと観客の心をひとつに
「Some Thing Never Change(ずっとかわらないもの)」は、ざっくり言えば「誰しもが成長して変化していく、でもそれってちょっと不安だし怖いよね。だけど、大丈夫。ずっと変わらないものはあるよ」って皆で歌う曲なわけですね(現状から目を晒すみたいな面もあるんですけど、そこは今回語りません)。
これは要するに、続編を見る時の感情と非常によく似てるんですね。前作は一応ハッピーエンドで終わって、この幸せがずっと続くのだと思わせるものでした。スピンオフ2作品もその延長線上にあるもので、大きな変化は起きません。
しかし、続編ともなれば当然変わってきますし、もしかしたら前回のハッピーエンドが覆ってしまうような結末が待っているかもしれない。そんな不安がどうしてもあります。
「Some Thing Never Change」という曲は、変化を感じつつも「この幸せがずっと続きますように」という願いが込められている要素がありますから、前作の幸せが続いて欲しいという観客の想いがシンクロしているのではないかと思うのです。
それでもやっぱり成長しないといけないよね、変わらないとダメだよねって我々も思っているわけで、じゃあそれをキャラクターに歌わせることでファンと心をひとつにしましょうと。共に変化に立ち向かっていこう、成長していきましょうというのがこの曲であると思います。オラフがカメラ目線になって第四の壁を越えてくるのも、それ故でしょう。
この曲が冒頭にある点からしても、これから向かえる大きな変化と結末への準備をキャラクターと我々にさせていると考えることができます。キャラクターと感情を共有することで、変化を受け入れやすくなりますからね。エルサやアナも変化への恐怖があったのにそれを乗り越え、変化を受け入れたことを我々も共有しているわけなので、より彼女達の選択を応援できるというわけです。
反感を買いやすいアンチテーゼを描くにあたって、実に上手い事やったなと思いましたね。それを喜んで見てしまう自分が悔しい…!
アンチ「Let It Go」な「Into the Unknown」
前作の明確なアンチテーゼといったら、本作の代表曲である「Into the Unknown」です。これは完全に「Let It Go」とは真逆の曲で、正に『アナ雪2』が前作のアンチテーゼであることを示していると思います。
その理由をここから解説していきますが、前回のレリゴー記事みたいに歌詞から描写まで全てやるとまた膨大な文字数になっちゃうので、ざっくりとしたものにします(いつか詳細にやりたいですけどね)。
前回、扉をバーンと閉めちゃったエルサが今回はバーンと開く
前作「Let It Go」との最大の違いといえば、扉の描写でしょうね。
私のレリゴーに関してのスタンスはブログを読んでいただきたいですが、一言で言えば「ネガティブ」です。それは「The cold never bothered me anyway(どうせ寒さなんて平気なんだから)」という言葉と共に背を向けて扉をバーンと閉めてしまうことからも分かりますが、とにかく後ろ向きな曲です。何せ「ずっとここに閉じこもって暮らすんだ」って言ってるわけですからね(オラフが一人芝居で茶化してますよね)。
しかし、今回の「Into the Unknown」では、なんとあの一人でいたいとか外に出たくないとネガティブなことばかり言っていたエルサが「未知の世界に出たい!」とか言い出すんですよ!そう「ポジティブ」なのです。
前回は世の中に対して背を向けて「ちっとも寒くない」とか強がりを言って扉をバーンと閉めてしまいましたが、今回は過去や今の幸せなはずの生活に背を向けてバーンと扉を開き「Into the unknown!(未知の世界へ!)」と3回も繰り返すんですね。バルコニーで高らかに声を張り上げて(近所迷惑じゃないんですかね?)。
引きこもりのエルサが未知の世界の旅に出たいだなんて、本当に成長しましたよね。私は嬉しいよ(でも、引き籠ってたり怯えてるエルサもかわいいと思ってしまう…ジレンマ)。
そういえば、前作で「扉を開いて」って歌ってた王子と王女がいましたよね。あれのやり直しでもあるのかな?
下にどんどん降りていくエルサ
前作の「Let It Go」は曲のネガティブさに反して、山をどんどん登って行くんですが、「Into the Unknown」ではどんどん城の階段を下りていくんですね。
これも前作とは真逆の表現ですね。
下降表現は容易さや不可避性の暗示に使われることがありますが、物語の展開的に容易さを表現しているわけではないでしょうね。曲の内容的にも不可避性、一度動き出したら止まらない、自分の秘密を知りたくてたまらないということではないかと思います。
過去を捨てたり女王であることを捨てたりして、とにかく開き直っていたレリゴーと違って、しっかり自分に向き合いたいというエルサの前向きな心が分かりますね。
他に自分の心の声という深層心理に迫るという要素もありそうです。ここら辺の考察はまたいずれ…
エルサの表情の変化
「Into the Unknown」では表情の変化にも注目です。
「Let It Go」では、エルサはドヤったり笑顔のシーンはあるんですが、それらは単に開き直りだったり、辛さを隠すものだったりしたわけですが、今回はそれが大きく変わります。
「Into the Unknown」でも「声を聴く気はない」などと強がりを言ってはいますけど、終始強がりだった「Let It Go」に比べれば最終的に自分の正直な感情を吐露しますね。そして、何よりも後半の喜びに満ちた表情の数々がエルサの心を素直に表しています。
辛い表情や強がりではないその表情が、とても愛おしいです。
【進化「Let It Go」】な「Show Yourself」
「アナ雪2」では恐らく一番の見せ場であろう「Show Yourself(みせて、あなたを)」はある意味究極の前作へのアンチテーゼであり、進化であると思います。
言ってしまえば、この曲は「Let It Go」の完全なやり直しであり、その要素のほとんどが真逆です。
自分だけでなく「お前も見せろ」と言い出すエルサ
前作からのエルサの心情の変化は「Into the Unknown」の項目で述べた通りですけど、ここではさらにその先へと向かいます。
「私の準備はできたわ。さあ、あなたも自分を見せて」って言うんですね(なに?誘ってるの?)。
「Let It Go」では自分を解放したように見えて、実はさらに閉じ籠ってしまい、開き直った結果、アレンデールをものすごい雪まみれにしてしまいました。しかし、今回は違います。開き直りではありません。エルサの言葉は本音となります。自分の悩みを素直に打ち明け、本当はどうしたいのかを叫ぶのです。真の意味での心の解放であり、正に「Let It Go」の進化といえるでしょう。
扉をバンバン開けていくエルサ
レリゴーでは「背を向けて扉を閉めてしまうの」という言葉を繰り返し言ってましたが、今回は「私も扉を開いたんだから、お前も開けやオラァ!」とドヤ顔しながらバンバン扉を開いていきます。主に物理で。
「絶対に進ませんぞ」と言わんばかりのアートハランの障害をアクションゲームみたいにクリアしていくという。どこであんな訓練したんですかね?それもアートハランにあるんでしょうか。教えてそれを。
これも完全に前作との真逆、アンチテーゼですね。
ある種のやり直し。既視感ある描写の数々
「Show Yourself」には明らかに「Lte It Go」を意識した描写が存在します。全部上げていくとキリがないのですが、最も既視感のある部分は「One moment more!(もうこれ以上!)」のシーンでしょうか。
ここは「Let It Go」での、エルサが暗黒面に足を踏み入れた瞬間の「I'm free!(私は自由よ!)」と類似する場面と言っていいでしょう。
エルサはエレメントの中心に足を乗せますが、まさにレリゴーでの階段に足をかける場面と同一です。そして、この後エルサが"別の存在"へと変わる点においても同じです。異なるのは、前作ではネガティブな方向であったのに対し、本作ではポジティブな方向になっているという点でしょう。
新しい自分、本当の自分になるのです。
深層心理にたどり着くエルサ
「Into the Unknown」の時と同じく、エルサはどんどん下に降りていきます。今度は階段では終わらず、地下深くへと進んでいきます。
エルサを呼ぶ声が彼女自身の声だとするならば、まさに深層心理へと迫る、真実に迫っていると言えるでしょう。
声の主を知りたい、自分の本当の気持ちを知りたい、求めだしたら止まらない、そんなエルサの心が底へとどんどん潜っていく描写に表れていると言えるでしょう。
しかし、これは同時にどんどん闇へと近づいていく、呪われた真実へと近づいていくことであり、非常に危険でもあります。自信に満ち溢れているエルサですが、それは同時に慢心も生み、彼女自身を滅ぼしてしまいます。
前作ではグレて魔女になった程度で終わりましたが、今回は命を失うまで突き進んでしまったわけですね。レリゴーのその先を描いたと言えるかもしれません。
これらが「Show Yourself」は単なるアンチテーゼでは終わらない、進化レリゴーたる所以です。
言ってしまえば「Into the Unknown」は完全な前座であり、そして対になっていると言えます。2つの曲が合わさることで、完全なものになるわけですね。
余談ですが、アカデミー賞には「Into the Unknown」ではなく「Show Yourself」を出すべきだったんじゃないかと思います。世間的な知名度は前者でしょうけど、曲の完成度からしたら間違いなく後者ですし、今の時流にも合っているので十分狙えたでしょう。まあ、「アナ雪2」そのものもアカデミー長編アニメ賞ではノミネートすらされなかったので、ファンとしては残念ですがこれには納得感はあります。その辺はいずれ語ろうと思います。
記憶の間(雪像の間)こそアンチテーゼ
エルサが精霊になった直後に過去の記憶が雪像として再現された空間が広がりますが、ここがまさしく本作が前作のアンチテーゼであると象徴しているシーンではないでしょうか。
それは、エルサが自分がレリゴーしていた時の姿を見た反応にあります。あからさまに嫌そうというか、恥ずかしさで悶絶しそうな様子。そう、まさに自分の黒歴史ノートを見てしまった人そのもの。エルサにとってレリゴーは記憶の墓場に持っていきたい恥ずかしい過去なのです。それを無理やり見せつけられるという。
つまり、「Let It Go」を明確に否定するシーンなのですが、何故こんな描写を持ってきたのかといえば、それはエルサがちゃんと成長できていることを示すためです。言い換えれば、アートハランに成長を試されているんです(単なる嫌がられかもしれませんが)。
もし、ここでエルサがレリゴーの自分を誇らしげに見てしまったら、まるで成長していないことになります。前作でエルサはレリゴーの結果、アレンデールに嵐が吹き荒れる呪いをかけてしまいました。これは武勇伝でもなんでも忌まわしき過去です。つまり、「あの時のことをちゃんと反省してる?」「それに伴って成長できてる?」とエルサに問いかけているんです。エルサの反応次第では、過去の真相にたどり着けなったかもしれません。
これは、前作から6年経った我々にも言えることだと思います。「Some Thing Never Change」での一緒に成長していきましょうというメッセージと地続きであるともいえるでしょう。
「今できること」をするアナ
前作のアナといえば、明るいのはいいんだけど、あまり人の気持ちを考えなかったり、「キスして」って他力本願なところがあったりと結構勝手な部分の目立つキャラでした。
それが今回は3年も経って落ち着いたのか、あるいは姉が危なっかしいので大人に成らざるを得なかったのか不明ですが、作中で一番まともな感じがしますね。エルサが好き過ぎてたまに周りが見えてない時ありますけども(僕と同じじゃないか!)。
そんなアナも前作のアンチテーゼ的な要素を多く含んでいます。
「もうあなたを離さない」手を握り続けるアナ
前作のアナはのっけからの「For The First Time in Forever(生まれてはじめて)」で分かるように、今の生活が嫌で外に出たい、素敵な誰かに会いたいって思いが強かったですよね。
しかし今回は「Some Thing Never Change(ずっとかわらないもの)」の一節にある「I'm holdin' on tight to you(心はひとつ※歌詞カードの翻訳は「あなたの手をしっかりと握っている」となってます。この歌詞は直訳すると「あなたを抱きしめている」になるので、歌詞カードの意味の方が近いと思います。)」からしても、今の生活がとても幸せでずっと続いて欲しいという気持ちが強いですよね。ここからして、本作のアナの心情は前作と真逆であるといえるでしょう。「I'm holdin' on tight to you…」と最後にアナが一人で改めて歌う点からしてもそれが窺えます。
エルサを掴んで離さないアナ
今回のアナはエルサの手をギュッと握りしめて離さない描写が多いです。「ずっと離れないって約束して」と念を押していたり、エルサが一人で危険な事をした時は怒りを露わにしています。過去に自分がエルサに寄り添えなかった事で、彼女も王国も大変な状況になりましたからね。自分も被害者なんですが、アナは何よりもエルサを失うことを恐れているように見えます。
この"消失の恐怖"が今回アナが立ち向かわなければならない障害であり、それを乗り越えた先が「The Next Right Thing(わたしにできること)であるわけです。この辺はいずれ語るとしまして、アナは前作とは違って現状維持をとにかく望んでいるのがわかります。だって、せっかく大好きなお姉ちゃんと仲良く過ごせるようになったんですからね。気持ちは痛いほど分かりますわ……
エルサの気持ちをこれでもかと汲み取ろうとするアナ
前作のアナは自分の考えを押し付けるばかりで、エルサの気持ちをほとんど汲み取ろうとしませんでした。そのせいで更に魔法の呪いを受けてしまう始末…。アレはエルサも悪いんですけどね…。
しかし、今回のアナは違います!
ジェスチャーゲームを退出したエルサを気遣いに行ったり、「エルサは立派だよ」ってヨイショしたり(これは前作でもやってますけども。「エルサならできるよ」って)、隠し事はせずに伝えて欲しいと言ったり、例のポーズ*4で悲しみに打ちひしがれているエルサに「エルサは尊い贈り物だよ」と最上級の愛の告白したりと、フォローしまくっています。前作と同一人物とは思えんくらいに他人を尊重しようとしていますな。
さすがは最終的に真実の愛は「愛すること」だと気付いたアナであるといえるでしょう。しかし、これはエルサを失うことの恐れからも来ており、とにかく姉を側に置いておきたい、手を離したくない「二人は一緒にいるのが一番だ」という独善的な感情から来ているようにも思います。ここら辺は前作の独りよがりな部分から変わっていないようにも見えますね。
他力本願だったアナが自分一人の力で闘う
前作ではエルサに頼り、ハンスに頼り、クリストフに頼りととにかく他力本願だったアナ。しかし、今回は頼れる人のいない完全に一人な状態に叩き落されます。それがどれだけアナを絶望させたか察するに余りあります。だって、最愛のエルサもオラフもクリストフももう誰もいないんですから(クリストフは死んでないけどね!*5)。
幸せだった日常はもう戻らない…けれど!
エルサを失った悲しみで一晩中泣いたアナ。あれだけ守ろうとしたエルサとの日々がもう失われてしまったんですからね。幸せだった日々も、自分にとって道を照らしてくれる姉もいなくなり、もう無理だと頑張ることをやめようとします。
また前回のように別の誰かにすがるのか。今回のアナはそうではないです。
自分は魔法も使えないし非力だけれど、何かできることがあるはずだ。アナはそう自分に言い聞かせながら崖を登り始めます。この登るという表現はまさに困難に立ち向かっているということでもあります。前作では崖を登る事ができなかったアナが今回は少しずつ登って行くんですね。頑張れアナ!僕達がついているよ!
何か一つでも自分にできることを
アナはエルサのように強力な魔法の力もないし、オラフのように分裂できる便利な身体もなく、クリストフのように森でMVすることもできません。
そんな無力な自分だけど、何か一つでも自分にできることをして、そしてまたできることをしていく、一つずつ一歩ずつ、それなら自分にも可能だとアナは気付いたんですね。前作では他人任せだったアナですけど、今回は自分で乗り越えていこうとするのは大きな成長といえるでしょう。
未来の為に「今できること」
洞窟から抜け出たアナは「When it's clear that everything will never be the same again?(全てがもう二度と同じにはならないっていうの?)」と大きく叫びます。
「またあの日常が戻ってくることはある?いや、それはもうないのよ」という自問自答しているんでしょう。アナは守ろうとしていたものを捨てる決意をしたんです。そして、「今できること」をしようとするわけです。過去ではなくもう未来を見つめるしかないと。
それが「To hear that voice(あの声を聴こう)」という部分に現れています。「あの声」とはエルサが凍る直前にアナに全てを託した声なのはもちろん、実はアナにもずっとアートハランからの声が聴こえていたということでもあるんですよ。それを彼女は無視していたんです。エルサとの日常の方が大事だったから。でも、その声をようやく彼女は受け入れたのです。ここは前作というよりも、本作のアナへのアンチテーゼといえますね。
他人にすがるのではなく協力を
前作では自分のために他人にすがるばかりだったアナですが、本作は自分のためではなく、未来のために行動します。まさに前作の終盤で真実の愛に気付き、凍り付きながらエルサを救ったアナの姿です。アレンデールだけではなく、魔法の森を解放するために自分を危険に晒すわけです。ここは、前作と地続きなアップデートであると言えるでしょう。
「今できること」の最終目標はダムをぶっ壊すことですが、アナ自身では到底無理な話です。なので、アナは協力を求めるわけですね。アースジャイアントには協力ってよりかは挑発した感じですが。
マティアス達には説得することで道を切り開くわけですが、これは前作のアナでは無理だったでしょうね。なにせ、姉を説得することにすら失敗してましたから。ここは前作のアンチであると共に純粋なアナの成長と考えて良さそうです。
エルサの魔法は攻から守に
エルサは前作もそうですが魔法を攻撃的に使っている事がほとんどでした。しかし、今回はアレンデールを洪水から救うという完全に守りとして魔法を使います。まさに守護者たるエルサの魔法であるといえます。彼女の魔法は攻撃だけではなく、何かを守るためにもなるということですね。
別れる姉妹
前作ではエルサもアレンデールに戻り、そのまま女王として暮らすことになりました。これは成長して元の場所に戻るという作劇の王道をなぞった展開であり、締まりとしては最適解です。
しかし、同時に疑問も残って、エルサは国民に受け入れて貰えたけれど彼女自身はどうなのか。そもそも女王に向いてないんじゃないのか。
私はレリゴー解説で、エルサは魔女としても女王としても優しすぎたと述べましたが、まさにエルサはその優しさのあまり、時には非情にならなければならない女王という立場に相応しくないのではないかと思ったのです。まあ、向いていないながら一生懸命に女王として責務を果たそうとするエルサは魅力的であり、自分は好きですので、そんな女王がいてもいいと思うんですけどね。
本作はそんなエルサの方向性を改めて問う内容であるわけですが、結果的にエルサは森で、アナはアレンデールで暮らす事になりました(もののけ姫ですね、分かります。)。
前作の元の場所に戻るという結末とは真逆、まさにアンチテーゼといえますが、それで結末を決めたというよりかは、エルサとアナの長所を生かした方向性を考えたらこうなったというところでしょう。最近のハリウッドというかディズニーにありがちなパターンではあるので、ちょっと予想できましたが。
完全な別離ではなく、時には会ったりしている余地を残している辺りまだ良心的でしょうか。別の場所にはいるけれど、「懸け橋」として姉妹の心は常に一緒だと考えることもできます。それでも寂しいものは寂しいですけどね。
本当の意味でのエルサの解放
本作のラストは、エルサの心からの笑顔で終わります。本当の意味で彼女は居場所を見つけて、心を解放できたということでしょう。
周りに受け入れて貰うのではなく、自分を尊重しようというのは今の時代らしい結末です。
ただ同時に、今回は完全に女王としての立場を放棄してしまったわけで、前作の「もう女王なんてどうでもいい」と王冠を投げ捨てたのと結局は同じなのではないかとも思ってしまうんですね。責任放棄はダメですよっていうのが前作の要素でもあったわけですが、今回はそれをやってしまっている感じがします。これも前作のアンチであるといえるのですが、女王の仕事はめっちゃ大変なはずなのに、それをアナに全部押し付けてしまったようにも見えてしまう。自分の気持ちばかり優先して、責任を放棄してしてしまっていいのか、果たしてそれは本当に最適解だったのか、エルサが女王に向いてないなら姉妹二人で協力してもっと良い国にしていこうっていう結末でも良かったようにも思います。
しかし、それだと「懸け橋」にならないので、難しいところではありますね。エルサは王国が自分の居場所ではないと思っていましたし。
まあ、エルサが幸せならOKです!今は彼女の門出を祝福しましょう。
以上、前作のアンチテーゼ的な側面で『アナ雪2』を語ってみました。かなり忖度エンジンを発動させたので、本音は実は違うみたいな部分もありますが、その辺は追々語るとして…。
全然ザックリじゃなかったんですが、これでもまだ語っていない部分も多いので今後の特集でいろいろやっていけたらと思いますのでよろしくお願いします。ご意見ご感想もお待ちしております。
*2:前作冒頭のエルサの魔法がアナに直撃する事故
*3:ラッパーの宇多丸さんがパーソナリティーを務める「アフター6ジャンクション」の「スターウォーズEP9特集」で映画ライターである高橋ヨシキさんが繰り返し言い放った造語。明らかにおかしい設定や描写を否定するのではなく、「いや、きっとこういうことに違いない」とかなりの擁護(忖度)をして解釈し受け入れる行動、考え方の事。詳しくはそのラジオを聴くと早い。
*4:エルサが辛いときによくする、身体を両腕で包み込んで自分を抱きしめるようにするポーズ。レリゴーの解説記事で詳しく触れています。
*5:てか、あの時のアナはクリストフのこと完全に忘れてない?「あ、まだクリストフおったわ」って気付いても良さそうなんに。それだけエルサの死がショックだったんでしょうけども。忘れられちゃうクリストフ、かわいそかわいそなのです。