前編で『Let It Go』の解説が一通り終わりましたので、ここからはそれ以降のストーリーをエルサを中心に掘り下げていき、もう一つの『Let It Go」に迫っていきます。
前編を読まれていることを前提で語っていきますので、長くて申し訳ないんですが、なるべく前編を読んでから後編を読んでいただくと分かりやすいかなと思いますのでよろしくお願いします!
完全なる絶望へと誘われるエルサ
魔女になる決意を固めたエルサ。扉を閉めた後は少し気分も落ち着き、「ここにずっと一人でいよう。そうすれば誰も傷つけないから」と考えていることでしょう。
しかし、そうはさせじと言わんばかりに、エルサを完全に闇へ堕とそうとする試練が次々と待ち受けます。
それは大きく分けて三段階あり、エルサを真の絶望へと導いていくのです。
説得に来たアナを拒絶してしまう
アナは氷の宮殿に引き籠ってるエルサを発見し、一緒に問題を解決しようと説得を試みます。しかし、そんなアナをエルサは拒絶してしまい、不可抗力とはいえ更なる呪いをかけてしまいます。
これがエルサを真の絶望へと堕とす第一段階目です。
エルサがアナを拒絶してまで遠ざけたい理由は前編の『Let It Go』で解説した通りですが、そんなことは知りもしないアナは必死にエルサに歩みよろうとします。
アナからしてみれば良かれと思っての行動なのですが、エルサからしてみれば何故アナは自分の気持ちを酌んでくれないのかと憤りが募るばかりなんですよね。
それに、今エルサは「レリゴー」でグレてますからね。家出して一人で好き勝手しようって時に、真面目な妹がやってきて「ほら、姉さん帰るよ」って連れ戻そうとしたら、そりゃあ反発もしたくなります。「うるさいわね! 絶対に帰らないから!」って。駄目だこの姉…はやく結婚しないと…
おまけに「レリゴー」でちょっと自信が付いたように感じていたのに、氷には相変わらず恐怖に怯える自分の姿が映っているわけで…。しかも、あれだけ「嵐よ吹き荒れるがいい」と言っていたのに、本当にアレンデールで嵐が吹き荒れてると知ったら、自分が引き籠った理由を思い出してめちゃくちゃ後悔する始末。もうエルサの心は余裕がなくなってパンク寸前です。
それに、今更一緒に解決しようと言われたって無理に決まってるじゃないかと。「今まで一度だってそうしてこなかったし、あなたは何もしてくれなかったわよね」って。
こういうと語弊があるかもですが、エルサはアナに対して"不信感"があるんですよ。
それは何故かっていうと、「Do You Want to Build a Snowman?(雪だるまつくろう)」に描写されているんではないかと私は見ています。
ちょっとこのシーンを見て欲しいです。両親が旅立つ直前の恐らく15歳になったアナがエルサの部屋の前を通るシーンです。
ここずっと違和感があったんですよ。単にドアを叩かなかっただけではないのではと。
ちょっと私の妄想も含めて考察しますと、恐らくアナはある時からエルサの部屋のドアを叩かなくなっちゃったんですね。離されてしばらくは「雪だるまつくろう」ってドアを叩いてたんでしょうけど、何度やってもエルサは出てこないから次第にアナも諦めて止めてしまったんじゃないかと。
久々にドアを叩いたのは両親が死んでしまった時なのではないでしょうか。下手すると何年かぶりに。*1
「Do You Want to Build a Snowman?」という曲は、姉妹の決定的なすれ違いを描いた悲しい曲なのです。
加えて「For The First Time in Forever(生まれてはじめて)」という曲ですが、こうしてすれ違った結果、距離ができてしまっている姉妹の歌でもあるんじゃないかと思うんですね。
アナは皆に会える、素敵な誰かに会えるかもって歌いますけど、何故かエルサに会いたいとは言わないんですよ。エルサに期待するのを止めてしまったアナは別の誰かの愛を求めてしまってるんですね。
心の奥ではエルサに会いたいという想いはあるんでしょうけど、面と向かって会うのはちょっと怖かったんだろうなと。それはエルサも同じで、アナを守るために引き籠ったのに、いつの間に自分を守る事の方に心が向いてしまっていました。そこら辺は戴冠式でのぎくしゃくした感じにも表れてますよね。お互いになんか距離があるという。
だからエルサはアナを拒んでしまうわけですね。ずっとろくに会話してこなかったのに、あなたに私の何がわかるのか。ちょっとドアを叩いていただけで、なぜ私が閉じ籠ったのか分かろうともしない。何も力の無いあなたが一緒に問題を解決しようなんて無理を言わないで欲しいと。
正直、かなり独善的ですよね。「レリゴー」後のエルサなので、今までの鬱憤が溢れ出てしまっており、仕方ない面もあるんですが……。アナと対話する気がないという。
ただ、これはアナにも言えることでもあるんです。
「For The First Time in Forever(Reprise)」でアナはエルサなら問題を解決できる、一緒にやれば大丈夫だと言うんですが、自分の考えを押し付けるばかりでエルサの話を聞こうとして無いんですね。エルサは「危険だから帰って欲しい」と訴えるんですが、アナはその理由も聞かずに「一緒に行こう」と言うばかり。お互いの主張は平行線のまま、できてしまった溝が全く埋まらずに、最終的にエルサの「できないものはできない!」という強い拒絶と共に決裂し、エルサの凍った心がアナの心も蝕んでしまうという最悪の展開になります。あんなにアナを守ろうとしていたのに、エルサは内なる怒りと恐れに支配されて、逆にアナの命を危険に陥れてしまうとは悲劇としかいいようがありません。すれ違う心は溢れる涙に濡れ……
なんでこうなってしまったのかというと、二人共受け身なんですよ。「自分のことを分かって欲しい」っていう。もっと言えば「愛してくれよ」なんですね。閉ざされた愛に向かい、叫び続けているんです。
ここが実は『アナ雪』の「真実の愛」というテーマに繋がる重要な部分だったりするんですけど、それは最後の方でまとめて説明することにします。
本当の魔女に成りかけてしまう
アナを追い返した後、エルサは渦巻く感情を抑え込もうと自分に言い聞かせ続けます。
しかし、不可抗力とはいえ、アナをまた傷つけてしまったことで、心は落ち着きを取り戻すことはないく、氷の結晶がどんどん鋭くなっていき「どうでもいい。嵐よ吹き荒れろ」と開き直ってしまったエルサの想いに乗じて、魔法が暴走を始めてしまっています。
このシーンの色彩表現からもエルサの心理描写が見て取れます。
エルサの背後は黒と赤、手前は深い青で構成されています。それぞれの色の意味合いとしては以下の意味が考えられます。
- 黒:絶望・孤独・悪
- 赤:危険・争い・恐れ
- 青:不安・悲しみ・冷酷
負の感情に飲み込まれていっている描写であり、氷の棘がエルサの方に向いていることからも、パビーの予言の通りに恐れが敵となっているんです。
ハンスの襲撃
エルサは等々ハンス率いる討伐隊に襲撃されます。
ここでエルサは自分の身を守るためではあっても、感情の赴くままに行動してしまい、人を殺しかけてしまいます。
このシーンでは、背景がほぼ黄色一色になっているのが印象深いですね。黄色は本来なら明るいイメージの色ですが、ここではそうではないことは明白なので別の要素があると考えるべきでしょう。
黄色は「緊張」や「転機」を表す色でもあるそうなので、いわゆるターニングポイントと見ることができそうです。
つまり、エルサは本当に魔女になってしまうのか、それともまだ人間でいるのかの瀬戸際ということですね。
何故なら、エルサはここでは明確な殺意をもって人に攻撃をしているからです。
完全に正当防衛なんですけど、人を直接殺めてしまうのは最後の一線を越えることになりますから、ここでもし兵士の誰かを殺していたらエルサは二度と元の彼女に戻ることは無かったでしょう。
これがエルサを真の絶望へと堕とす第二段階目です。人を殺そうとしてしまった自分へ恐怖するのです。
エルサを止めたのがハンスというのがなんとも皮肉なところですね。自分をよく見せるため、そしてエルサを利用するためにもここで亡き者にしてしまうのは得策ではないと思ったんでしょうが、結果的に「化け物になってはいけない」という言葉が彼女を救うことになりました。ここでの言葉は、果たして計算だけで出たものなのでしょうか。とっくに化け物になっている自分自身にも言っているような気がするんです。彼の中にまだ僅かに残っている善のハンスが言わせのではと……
私はハンスに関しては元々は善人だったが、兄たちに愛して貰えなかった故に暗黒面に堕ちた哀しき人であり、もし真実の愛を知ることができなかったら……というエルサやアナの映し鏡的な存在だと解釈していますが、そこら辺を語るとまた長くなっちゃうのでまたの機会にします。
深い絶望へと堕ちる
ギリギリのところで魔女になることを回避したエルサですが、囚われの身となってしまいます。今度は自分の部屋ではなく、完全な牢獄であり、禍々しい手枷まではめられています。
手袋を捨て、マントを捨て、王冠まで捨てて女王であることを放棄したのに、アレンデール王国はエルサを自由になんてしてくれないのです。
そして、エルサはこの時初めて自分の犯した過ちをこの目で見ることになります。
「なんてことをしたのか」と自分を責めたことでしょう。しかし、自分では元に戻す方法がわからない。ここでようやくアナと協力することを考えますが、アナはここにはいない。もうエルサが思いつくことは、少しでもアレンデールから離れれば魔法の効果が薄まるんじゃないかということくらいですが、そんなの無駄だと言わんばかりに嵐は強くなるばかりです。「嵐よ吹き荒れろ」とエルサが呪いをかけたが故に……。
逃げることすら許されないエルサ
エルサは魔法で手枷を壊して脱出しますが、そこにハンスが迫ります。
この時点では、恐らくハンスの本性には気付いていないエルサは「アナをお願い」と妹を託します。自分の魔法の呪いをハンスなら何とかしてくれると思ったのでしょう。
しかし、エルサは衝撃の事実を知らされます。「アナは死んだ」と…しかも、自分の魔法によって。
実際にはアナはまだ死んでないのですが、エルサは紛れもない事実だと受け取ったはずです。何故なら、過去に自分の魔法でアナが危機に陥った上に、今のアレンデールの現状、そして再びアナに呪いをかけてしまったわけですから。
アナの死を告げられたエルサは大きく泣き崩れます。アナを守るためにこれまで必死に孤独に耐えて生きてきたのに、それが全て無駄になったわけですからね。生きる糧を失ったエルサの心は完全に折れてしまいました。ここでエルサはついに深い絶望へと堕とされるのです。
その瞬間、あれだけ激しく吹き荒れていた嵐がピタッと止み、氷の結晶が宙を漂います。とても美しいのですが、同時に恐ろしくもありますね。嵐の前の静けさといった状態です。
これは「雪だるまつくろう」の最後のシーンにあったものと同じで、エルサの心が極限まで悲しみや絶望に堕ちた時に起きる現象ということでしょうね。これまで、どんなに落ち込んでもこの現象が起きなかったのにアナの死で起きたということは、それだけアナを大切に思っていたのでしょう。前編で述べたように自ら部屋に閉じこもってまで守りたかったわけですから。
この後は更なる嵐が起きるか、気温が著しく下がり、世界を凍らせるでしょう。人間は残らず凍りついてしまうことと思います。唯一、氷の魔法を使えるエルサを除いて。
「一人にして欲しい」というエルサの望みを魔法が叶えようとしているんですね。魔法は常にエルサの味方なんです。矢を射られた時に盾を作ったように、魔法はエルサを守り、そして愛しているんですよ。彼女はそれに気付いてませんが。
死を選ぶエルサ
泣き崩れたエルサをハンスが手をかけようと剣を振り上げますが、彼女は泣き続けるだけです。恐らく、エルサはハンスの行動に気付いていたと思います。しかし、エルサは何もしません。彼女の魔法であれば簡単に防ぐことができるはずなのに。
もうエルサは深い絶望に堕ちていますから、何か行動を起こす気力がないということもありますが、もう一つ理由があります。それは「死を選んだ」ということです。
アナは魔法の呪いで死んだわけで、要は自分が殺したようなものです。そして、アレンデールはどんどん雪で覆われていく。その魔法を解く手段は自分にはない。ならば自分が死ねば魔法が解けるか最悪でも嵐は収まるかもしれない…エルサはそう考えたんですね。ずっと閉じこもることしかしてこなかった彼女は、もう最後はそれしか方法を思いつかなかったのです。
あの「レリゴー」の時と同じように開き直って、今度こそ魔女として氷の魔法で暴虐の限りを尽くすこともできたはずですが、エルサにはそんな選択肢は持ち合わせていません。それは、前編で解説したようにエルサがいい人間だからです。ここまで絶望しても、彼女は暗黒面に堕ちきれなかったんですね。エルサはアナは救えなかったが、せめて国の人々は救おうとハンスに殺されることを選んだのです。人を傷つけないために最後まで自分を犠牲にしようとしたんですね。
エルサは魔女なるにしても一国の女王としても優しすぎたんです。
やっぱり結婚しよう…
アナの愛がエルサを救う
ハンスの狂気がエルサを貫こうとしたその時、死んだはずのアナが目の前に立ちはだかり、自身が凍り付きながらも剣を受け止めます。
アナもまた自分の命を投げ出してまでエルサを救おうとしたんです。あれだけ誰かから愛されることを待ち続けたアナでしたが、大切なのは自分が愛することなんだと気付いたということです。「For The First Time in Forever(Reprise)」では、お互いに「分かってくれよ」「愛してくれよ」で全く噛み合いませんでしたが、ここでようやく「あなたを愛します」に変わるんですね。
この「誰かを愛する」という受動ではなく能動的な想いが「真実の愛」というわけです。
アナがなぜこれに気付けたのかは、クリストフが瀕死の彼女を必死に城まで運んだ事ももちろんですが、一番はやはりオラフの存在でしょう。
オラフはアナにはっきりと「愛というのは自分より人の事を大切に思うことだ」と言います。彼は最初から真実の愛がなんなのか分かっていたんです。もう答えは出ていたんですね。オラフはハグが好きで「ぎゅーって抱きしめて」って言いますけど、相手を抱きしめるというのはその人を大切に思っていないとできないんですよね。だからオラフは「抱きしめて」って、相手の愛を確認していたんじゃないかと思うのです。
オラフはエルサとアナの子供
何故オラフが真実の愛を分かっていたのかですが、彼がエルサとアナの子供だからです。
「何言ってんだこいつ?」と思ったかもしれませんが、決して私が姉妹カプを拗らせたとかそういうわけではありません(そうかもしれませんけど)。
オラフはエルサが生み出したので、まず彼女の側面を多く持っています。ハグが好きというのはエルサのずっと抱きしめて欲しいという思いから来てるでしょうし、凍りかけているアナを自分が溶けてしまう危険を顧みずに暖炉に火をともして近くまで運んであげた行動は、大切な人のために自分を犠牲にするエルサそのものです。そして、前向きで軽快であり、エルサの事を誰よりも分かっているところはアナですよね。さらに言うと、本当はお互いのことを大切に思っていて、とっくに真実の愛を知っているはずのエルサとアナの心も受け継いでいるんです。だから、生まれたばかりであるのに愛がなんなのか分かっているオラフはエルサとアナの子供なんです。
アナの呪いを解いたのはエルサではなく、アナ自身
一度は完全に凍ってしまったアナでしたが、その直後に魔法が解けて息を吹き返します。
ここはエルサがアナを抱きしめながら泣いているので、エルサの愛がアナの呪いを解いたと思われがちですがそうではありません。呪いを解いたのはアナ自身です。
先に述べたように、真実の愛とは大切な人を愛することです。つまり、それに沿った行動をすればパビーの野郎が言ったように呪いが解けるということになります。アナはエルサを助けるために、自分が助かる可能性を捨てました。「自分よりも人のことを想う」それができたアナは呪いに打ち勝つことができたわけですね。エルサに「I ove you」と伝えたことからも分かります。これは『アナ雪』本編で初めて出た本当に愛を伝える言葉でもありますね*2。
恐らく、アナがクリストフの方に真っすぐ向かったとしても呪いは解けなかったでしょう。大切なのは誰かにキスをしてもらうなど他人に委ねるのではなく、問題の本質を見つめて理解し、自ら行動して解決すること。これこそが「アナ雪」の重要なテーマであるといえるでしょう。
アナは愛が何かを理解しましたが、エルサの方はどうなのか。もちろん、彼女も愛を理解しました。アナの決死の行動によって。
エルサにとっての真実の愛とは何か
真実の愛は自分よりも他の誰かを大切に思うことで間違い無いですが、エルサに限って言えばもう一つあります。それは自分を愛することです。
エルサは自分が側にいると傷つける、危険な力を持つ悪い人間だとひたすら自分を否定してきました。「Let It Go」で自己肯定したように見えますが、前編で解説したようにあれはグレた上の開き直りでより後退してしまいました。
そんなエルサの心の呪いを解くには本当の意味での自己肯定しかありません。グレた状態のエルサではそれは無理ですが、アナの自己犠牲によってライトサイドに帰還した(更生した)彼女はようやく自分を見つめ直すことができるようになります。
遅れてきた反抗期も短い期間で終わりましたね。よかったよかった。
オラフの「真実の愛だけが凍った心を溶かす*3」という言葉でエルサは「そうよ、愛よ!」と魔法が制御できるようになります。
彼女はやっと思い出したんですね。元々自分の魔法が好きだったこと、アナが大好きな氷の魔法を愛していたことを。
エルサは幼少期の頃を見ていれば分かりますが、魔法を制御できないなんてことはないんです。前編で、アナの事故や両親(後パビー)の誤った行動でエルサは自分が悪い人間だと思い込んだと述べましたが、同じように魔法も制御できないのだと思い込んでいたんですね。
アナがなぜあんなに「エルサは魔法を制御できる」と言い続けていたのかはこういう事なんです。魔法の記憶を失くしていても、エルサの魔法が大好きだった時の心は残っていて、それに突き動かされていたのでしょう。
魔法がエルサを愛していたように、自分も魔法を愛すればいんだと気付いたエルサは本当の意味で魔法を解き放ち、もう隠す事をしなくなります。「Let it go(これでいいんだ)」と。
短いが重要なラストのスケートシーン
スケートシーンは単にエルサが皆に受け入れて貰えたことを示すだけのシーンではないでしょう。
ここでは、スケートはできないというアナにエルサが「絶対できるわ」と一緒に滑ります。これは、今までアナが「エルサなら絶対に魔法を操れるよ」と言い続けていたのをエルサが「そんなの無理よ」と返していたやり取りと対になってるんです。立場は逆転していますが、あのネガティブの塊だったエルサが「絶対できる」なんて言うとは…。その成長に感動です。姉妹が一緒なら、アレンデールも救えるし、スケートだって滑れるんです。尊いですねぇ。
スクリーンディレクション*4的にもエルサが明確にポジティブである右方向に移動している貴重なシーンでもあります。グイっとアナを右に引っ張っていくんです。
最後に音楽にも注目して欲しいです。ここで流れる曲は「For The First Time in Forever(生まれてはじめて)」と「Do You Want to Build a Snowman?(雪だるまつくろう)」のフレーズが含まれています(サントラでは「EPILOGUE」と題されてる曲ですね)。この2つの曲は、事前に解説でも述べた通り、姉妹の決定的なすれ違いを描いた曲でしたが、ここでは全く意味が変わります。
ここでこれらの曲が流れるという事は、すれ違っていた姉妹の関係が完全に修復されて、元の仲の良い姉妹に戻りましたよってことなんです。エルサはあの時は誰にも会いたくないけど戴冠式だからと無理に門を開きましたが、「もう二度と門は閉じない」という言葉通り、ここでは心から門を開いています。エルサに会うことが怖かったアナも、今でもずっと一緒にいたいと思っているでしょう。正に姉妹の心の変化を描写していますよね。この後もエルサとアナはずっと仲良く暮らしましたってことなんでしょう*5。エンドロールでも同様の曲で締めくくられている辺り、それは確かです。素敵なラストだと思います。
スケートのシーンは短いですが、今までの出来事全てが清算されたに等しい重要なシーンなのです。
※エルサの“ドヤ顔”については、前編の「エルサドヤ顔のジンクス」を参照ください。
間違いの清算
前編で『アナ雪』はエルサも周りも間違い続け、それを清算する物語だと述べました。では、その清算方法は何かですが、もうお分かりの通り「愛すること」です。
エルサの魔法を恐れ、抱きしめる事ができずに枷を嵌めて牢獄に閉じ込めてしまった両親、エルサの部屋を叩くだけで歩み寄らなかったアナ、自分を否定して閉じこもったエルサ。
それぞれが愛することができずに起きた悲劇を“愛すること”で清算するなんてとても美しいですよね。『アナ雪』はいいよなぁ、うんうん。
もう一つの『Let It Go』
ついに来ましたよ、もう一つの『Let It Go』を語る時が!
これのためにここまで長々と解説してきたといっても過言ではありません。
あれ? でも、アナ雪本編はもう終わってるんじゃ…?と思うかもしれませんがまだあります!それは“エンドロール”です。
真の『Lte It Go』はエンドロールにある
なんのこっちゃといったところですが、『アナ雪』の本当のラストシーンはエンドロールです。
エンドロールでは雪山の【第一『Lte It Go(以下第一)』】とは違う、アップテンポの『Lte It Go(本家はデミ・ロヴァ―ト。吹き替えはMay J.)』が流れます。
これは単なるカバー曲ではなく、本編後のエルサの心情を歌っている…私はそう思います!
『Let It Go』は前編で散々解説したように、めちゃくちゃネガティブな曲です。でも、それだけで本当に終わっていい曲なのか? そんなわけがありません。
真実の愛を知ったエルサはもう魔法も自分も恐れてはおらず、前よりも前向きになったはずです。ならば、このエンドロールで流れる『Let lt Go』はポジティブでないとおかしいのです。わざわざテンポを変えたものを流すわけですからね。意味がないわけがないと。
その根拠に歌詞も微妙に違っているんですね。しかも、少しの違いで全く別の曲になっています。では、それをここから解説していきます。
※歌詞カードか本編のエンドロールを見ながら読んでね!
全ての言葉がポジティブに
まず、最初の「Let it go , let it go~Couldn't keep it in」までの歌詞は今までの回想でしょう。『第一』では現状を歌っていたものでしたが、それらが全て過去のものになりました。もう魔法を隠す必要も閉じこもる必要もなくなったのだから、気にする必要はなくなったんですね。
「Let it go ! ,let it go (これでいい、かまわない)」はもちろん完全にポジティブな意味になっています。そして、『第一』であれだけ言っていた「Let the storm rage on(嵐よ吹き荒れろ)」を一度も言いません。もう呪いをかけていないわけですね。
「And here I stand and here I'll stay(ここから二度と動かない)」は『第一』では氷のお城に引き籠って全体に動かんぞー!っていうネガティブ極まりないものでしたが、ここでは皆ともう一度一緒にいたいからアレンデールで暮らすんだという前向きな「動かない」になっています。
「Turn my buck and slam the door(ドアを勢いよく閉めるのよ)」は言うんですが、これも『第一』のような過去を全て否定し、もうどうでもいいんだっていうネガティブなものではなく、自分を愛せなかったダメな自分とはおさらばして、もうくよくよしないんだという前向きなものでしょうね。
さらに、単なる強がりでしかなかった「The cold never bothered me anyway(寒さなんて全く平気なんだから)」が本心になりました。前編で解説したように「少しも寒くない」とドヤ顔したところで心は寒いままでしたが、今のエルサには大好きな妹も側にいますし、オラフという新しい家族もでき、自分の魔法に恐れる事もありません。
歌詞の変更も重要なポイントです。『第一』の「It's time to see~I'm free !」,までのグレてしまった箇所の歌詞がごっそり抜けて「Up here in the cold thin air. I finally can breathe.I know I left a life behind. But I'm too relieved to grieve(冷たく薄い空気の中にいるとやっと息ができる。でも、私はすっかり気が楽になって悲しむ気にもなれない)」という歌詞になっています。エルサの心境の変化がよく表れています。「まだ一人でいる方が楽ではあるけど、だからと言ってもう悲しまないわ」ともう『第一』の時のような開き直っただけの自由ではなくなったということでしょう。
そしてそして、一番曲調が変わる「Standing~In the snow」の部分です。これは新たに追加された歌詞ですので、エルサの新たな心情を歌ったものでしょう。一番重要なので部分部分で見ていきます。
「Standing Frozen In the life I've chosen You Won't Find me(自分が選んだ生き方で凍ったまま立っている私をあなたは見つけることができないでしょう)」の部分。「自分が選んだ生き方」は正にアナを守るために閉じこもる事にした13年間の人生で「凍ったまま立っている私」はその13年間ですっかり心が冷え切ってしまい、レリゴーで開き直ってアレンデールを雪で覆いつくしたエルサのことでしょう。「あなた」はエルサ自身のことです。つまり、「もう過ちは犯さない。心の凍った自分はもう消えたから悲しもうとしても無駄よ」ってことでしょうね。それと、これは私の妄想的な解釈になりますが、既にこの時点であの「レリゴー」は過ちだったと彼女は認識しているのではないでしょうか*6。だって、短い間とはいえグレちゃったわけですからね。おまけに国をあんなに雪だらけにして。反省しないとダメです。で、反省したんですからやっぱりエルサはいい子なんです。
続く「The past is all behind me Buried In the snow(過去は全て去り、雪の中に埋もれている)」ですが、これはもうそのままの意味ですよね。辛く寂しかった過去は、これから始まる幸せな人生が雪のように覆ってくれると。
ものすごいポジティブですよね。『第一』ではあんなにネガティブだったのに。「Let it go」で歌が終わるのもいいです。エルサが「これでいいのよ」って前向きになったのが分かって。
私はこの【第二『Let It Go』】、いや【真『Let It Go』】というべきですかね。これを聞くと、エルサは救われたんだなって幸せな気持ちになります。エルサが伸び伸びと楽しそうに魔法を使っている姿が想像できますよね。同じ歌なのにこんなにも意味が変わってしまうなんて素晴らしいと思いませんか?
『アナ雪』はエンドロールが真のエンディングなのです(おまけ映像もありますけどね)。だから、ここで席を立ったり帰ってはいけません。最後まで見ないと。
日本語吹き替え版の歌詞はEDでは適切
私は前編で日本語吹き替え版の歌詞は変えられ過ぎていて“この時点”では適切ではないと述べました。何故“この時点”と書いたのかといえば、エンドロールでは適切になるからなんです。
吹き替え版の歌詞はほぼ全てポジティブな意味に変えられています。だからこそ、エルサの心境が変化した後のエンドロールにぴったりなんです。
May J.が歌うエンドロール版は松たか子版とほぼ歌詞は一緒ですが、一部変更されている箇所があります。それは先程解説した箇所と同様の部分を意訳した「ずっとずっと泣いていたけど、きっときっと幸せになれる。もっと輝くの」です。例のごとく、原語と大分違いますが今のエルサにはぴったりな翻訳でしょう。
もし、『Let It Go』の翻訳が本編ではなるべく原語に沿ったもので、エンドロールでは現行の吹き替え版翻訳であったのなら映画を的確に表現したものになり、より素晴らしいものになったのではないかなぁと思うんですよね。まあ、マーケティング的にはあれで正しかったんでしょうけど。
私は吹き替え版の歌詞は本編では的確ではないとは言いましたが、『Let It Go』がネガティブな曲だという前提で見れば、吹き替え版の歌詞はエンドロールでも変化が少ないためにダブルミーニングが強調されているとも取れ、深みが増していると言えるかもしれません。
『Let It Go』はいいねぇ。そう感じないか? アナ雪ファンの諸君。
最後に
これで、2つの『Let It Go』の解説を終わります。これが『アナ雪』だ!真実だ!と偉そうに言うつもりはありませんが、この映画をより好きになって貰えたら幸いです。
長くなって本当にすまないと思っているんですが、まだ『アナ雪』の全てを語ったわけではありません。特にアナについては、まだ十分に振れていませんしね。
『アナ雪』は、また個別に特集でも組んで語ろうと思ってます。2も語らないといけないですしね。その時はまたよろしくお願いします!
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!
参考資料
- 『アナと雪の女王(原題:Frozen)』(2013年、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ、クリス・バック、ジェニファー・リー監督)
- 『アナと雪の女王2(原題:FrozenⅡ)』(2019年、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ、クリス・バック、ジェニファー・リー監督)
- 『アナと雪の女王 オリジナルサウンドトラック~デラックスエディション~』※歌詞カードを翻訳の参考にしています。
- 『THE ART OF アナと雪の女王』(チャールズ・ソロモン=著)
- 『アナと雪の女王 ビジュアルガイド』
- 『映画表現の教科書 名シーンに学ぶ決定的テクニック100』(ジェニファー・ヴァン・シル=著 吉田俊太郎=訳)※スクリーンディレクション等の映画的技法の解説はここから引用しています。
- 『紅』(作詞・作曲:YOSHIKI 編曲:X)※一部歌詞を引用しています。
*1:ただし、この辺は短編の「家族の思い出」で、実はアナは毎年オラフのクリスマスカード等をエルサに送っていたというフォローというか後付け設定が追加されてしまったので、ちょっと弱くなっちゃうんですけどね。あのエピソードも好きではあるんですけども、戴冠式の時のぎくしゃくした感じや、アナが初めてオラフを見た時の反応などに説得力がなくなってきちゃうんで余計だったんじゃないかなぁとも思います。少なくともこの『アナ雪1』の時点では、久々にドアを叩いたのは両親が死んでしまった時なのではないかという解釈をしています。
*2:字幕や吹き替えの訳も悪くはないですが、ここは素直に「愛してるからよ」とか「大好きだから」にして欲しかったなぁと思います。
*3:ここでも彼がキーマンですね
*5:2で別々に暮らす事にはなりますけど、心は一つですし、たまに会ってるようですので別離でありませんよね。