ディズニープラスで『アナ雪2』のメイキング「イントゥ・ジ・アンノウン」の第2話が公開された。そして、それがまたしても衝撃的な内容だったので1話に続いて感想を書くことにした。
ちなみに前回のはこちら。
mousoueigablog.com
結構辛辣に書いたが、今回も辛らつになると思う。だが、作品そのものを叩いているわけではないことは分かって欲しい。
開始早々ぶったまげ。作品がほとんど出来上がっていなかった事実が判明する。
なんと、公開まで9ヶ月の時点でアニメーションが20%しか完成していないというではないか。大丈夫なんか?って感じだが、アニメーションは公開ギリギリまで作ってることが結構あるのであまり珍しいことではないとは思う。
しかし、本作の場合は結構事情が違ってくる。まず、歌もほとんどできていないし、エルサを呼ぶ声の主も決まっていない。更に衝撃なのが脚本をまだ書いていたのだ。
これには私も「は?」となった。CGなどが出来ていないのは分かるのだが、まさか脚本すら完成していなかったとは。いや、ここは前回の話でなんとなく予感はしていたものの、声の主が決まらないとかそういった個々の問題が残っているくらいだと思っていたのだ。それがまだ執筆中とは……。しかも、リー監督がインタビューを受けているのは8ヶ月の時点である。前回のスクリーニング後に脚本を書き直す事にした可能性も大いにあるが、それにしたって遅れ過ぎなのは間違い無いだろう。
そりゃあ、20%しか映画が出来ていないのもわかる。作品の土台となる脚本が未完成では作れるもんも作れない。非常に切羽詰まった状態だ。とりあえず、使うと確定しているシーンからアニメーションを作っておき、それを使ってティーザートレーラーを作ったようだ。剣を振るう勇ましいアナは無くなってしまったが。
ここからは私の妄想だが、あのアナや真剣な表情で大勢のトナカイを率いるクリストフからして、最初は今の映画の姿とはかなり違っていた可能性がある。特に、出演者らがトレーラーを見た時の「ゲームオブスローンズみたいなR指定映画になるんじゃない?」って反応が面白い。まさにそうなりそうな内容だったのでは?もしかしたら、スピンオフ小説の「影のひそむ森」に近かった可能性がある。この小説が仮に映画化されたとしたら、間違いなくR指定になるか、どんなに頑張ってもPG12とかだろう。
前作から6年も経ち、ファンの多くがそれなりに大人になっていることも考え、いっそ大々的に大人向けにしてしまえというのはあったかもしれない。現行の本編も子供には理解が難しい描写が多いので、その名残りはあるように思う。
とにかく、作品が全く形になっていなかったというのはよく分かった。
クリストフのMVで大はしゃぎする皆さん
面白かったのが、クリストフのMVである「Lost in the Woods」は満場一致で大絶賛だったことだ。他のシーンが全く出来上がっていないのに、なに故この歌を絶対使うという流れに?他のシーンが出来上がっていないのに。そう、出来上がっていないのに。うるさいわ!
あの歌は全然悪いとは思わないし、あの見返り美人大天使アナちゃんを生み出しただけでも称賛に値するのだが、本編で絶対に必要だったかと言われると少し首をかしげざるを得ない。クリストフの「イントゥ・ジ・アンノウン」みたいな側面もあるし、彼の終盤の行動にも繋がるわけなので無いよりはあった方がいいのは間違いないが、この段階でねじ込むべきだったのかどうかということである。
全員深夜テンションじゃねぇか
この謎は「深夜3時のテンション」と言っていたロペス夫妻らの言葉から見えてきそうだ。恐らく、皆さん制作があまりにキツくて、変なものを作って(ごめんね、クリストフ)はっちゃけないとやってられなかったのだろう。それはあまりにも不可解なMVの内容からも分かる。私は所見では「いったい何を見せられているのか」と真顔になってしまった。いや、「ボヘミアン・ラプソディ」のMVを意識したシーンもあるし、80年代辺りのロックバラードのパロディなんだろうというのは分かったが、それにしたって常軌を逸していたからだ。
これはリピーターが彼のMVでトイレに行ってしまうのも分かる。特に見なくてもいいし、見ても不可解なものを見るだけだからである。私は最後のアナを見るために席を立つことは無かったが、寝てしまったことはある。最後のアナを見逃した時はショックであった。
「Let It Go」に性別は関係ないんじゃない?
気になったのがクリストフ役のジョナサン・グロスが「女の子には『Let It Go』があるけど、男の子にはどうなんだろう?」と言った点。
彼の認識を責めるつもりは全くないのだが、「Let It Go」に性別は関係ないんじゃないかと。誰しもがエルサのようにレリゴーしたいという感情があるはずだからだ。それに男女関係なくエルサに感情移入し、彼女に成りたいと思うだろう。私もエルサになりたいし、結婚したい。
だから、『アナ雪』には男の子の曲がないというのは間違いだと思う。
おそらく、グロス氏は自分の演じるキャラクターに専用の曲ができたことが嬉しかったのだろうし、「クリストフの曲がないのはなんで?」と言われてきたこともあり、あのように発言したのだと思う。
それに私のように拗らせたオタクと違って、多くの男の子は『Let It Go』にシンパシーを感じてもエルサが好きだとか成りたいだとかは言いにくいだろうから、「男の子向けの曲がない」という彼の認識はなんら間違いではない。
そもそも、「Let It Go」が女性の解放の曲だというイメージが定着され過ぎている問題があるのかもしれない。
「Show Yourself」をどうしても消したいスタジオ側と残したいロペス夫妻
今回一番の衝撃は、『アナ雪2』の象徴というかほぼ全てと言ってもいい「Show Yourself」が存続の危機にあったということだ。
いやいや、これが無かったら『アナ雪2』ではなくなっちゃうじゃないの!これを消してどうするの?という感じだが、リー監督らはどうしてもしっくりこなくて別の曲に変えたかったようである。いや、そこは変えずにどうしたらこの曲を残せるのかって方向で考えて欲しいのだが。まあ、初期の「Show Yourself」がどんなものだったかは分からないが、アニメーション含めてかなり難解でヘンテコなものだったような雰囲気もあるし、直した所でどうにもならんって考えたのかもしれない。
だが、ここまでこの曲が頓挫してしまっているのは、そもそもエルサを呼ぶ声が誰なのかをハッキリと決めずに曲や絵を作らせたからじゃないのかと思わざるを得ない。エルサが声に呼ばれてたどり着く彼女にとっての最終地点なのに、そこが宙ぶらりんな状態ではどうやったって上手くいかないのではないのか。核が出来ていないのに物語を進めてしまっているのだ。これは、またしても前作の制作過程でラセターに指摘されたのと同じ過ちを犯しているようでならない。やはり"まるで成長していない"のだろうか……
前回でも紹介した前作の制作過程の裏話はこちら
映画は進まないが、現場の雰囲気は良好
頓挫している「Show Yourself」の代わりにリー監督が提示したのが「ただいま」であった。これにはロペス夫妻も「つまらん」って一刀両断するが(私も思った)、それに対してリー監督を始めとしたスタジオ側が大笑いしていたのがとても印象深い。リー監督がインタビューでも語っているように、本当に意見を言い合える関係性が出来上がっているのだと感じた。決してワンマンではなく、様々な意見を出せて聞ける環境が整っているのは良い職場だと思う。しんどい時はめっちゃしんどそうだけど、クリエイターがいろんな意味で死ぬことはなさそうだ。私もここでなら働きたいと思ってしまった。ただこれには欠点もあって、作家性が出しにくい。そこら辺がディズニー体制に変わった後の「スターウォーズ」の失敗にありそうな気がするが、それはここで語る事ではない。
「ただいま」という観点は悪くなかった説
ちょっと話は戻るが、リー監督が代替え案とし提示した「ただいま」という要素は、現行の「Show Yourdelf」に取り入れられているのでないかと思う。特にイントロの「I can sense you there Like a friend I've always known I'm arriving And it feels like I am home(あなたがそこにいるのを感じる。ずっと知っていた友達のように。着いたわ。まるで我が家のような気分ね)」という歌詞はまさに「ただいま」である。ロペス夫妻がリー監督の意見を元にイントロ部分を書き直した(付け加えた?)のだとしたら、リー監督は突破口を開いたのでは。ここは次のメイキングで明らかになるかもしれない。
「Let It Go」にとらわれすぎ?
スタジオ側は「Show Yourself」に「Let It Go」よりもインパクトがないことを問題に感じていたようだが、そもそも「Let It Go」を超えることは不可能に近い。あの曲は『アナ雪』という作品そのものと言ってもいいような奇跡の名曲だ。アニメーションの素晴らしさもあって、あの曲一本で映画史に残り続けるだろう。それを目指していたら袋小路に迷い込むのは当然の成り行きだ。
その点、ロペス夫妻は割とドライで「アナ雪2」でのエルサの成長の曲として書こうとしているように感じた。「ただいま」という曲では「Let It Go」に似すぎていてつまらないという観点もスタジオ側があの曲に囚われてしまっているのを的確に指摘していると言っていい。
ただスタジオ側も間違ったことを言ってるわけではなくて、例えばリー監督の意見である「必要なのは感情の成長」というのは、まさに「Let It Go」に足りなかった部分なので、鋭い意見である。
この両者の『アナ雪』という作品に対しての認識の差というかズレが見える点が、結構面白いパートだ。微妙にズレているスタジオ側に対し、「Show Yourself」がいかに本作に必要かを諭したロペス夫妻の功績は大きいだろう。出た否定的意見に対して意固地になるどころか、悪かった点を見つめ直して改めてこの曲を作ろうとしているのも素晴らしい。
胃が痛そうなストーリー監督、マーク・E・スミスさん
今回はストーリー監督を務める、マーク・E・スミスが非常に印象に残った回でもあった。
まず、常に苦笑いしたような表情が作品の切羽詰まった様子を体現しているし、監督や音楽チーム等のあらゆる方面からの要求を一身に背負っているようで、なんだかとっても胃が痛そうだ。醸し出す"良い人感"に非常に好感を抱いた。
それに彼の発言の節々から『アナ雪』を分かってる様子が伺える。むしろ、監督らより分かってそうですらある。
例えば、「Show Yourselfはアナ雪1と2両方に跨るエルサの内面的な変化の頂点だ」という発言はまさにその通りと言う他ない。「Show Yourself」が暗礁に乗り上げてしまい「自分がダメにしたのかも。適任じゃないのでは…」と落ち込んでいるが、いやあなたは充分に適任だよと励ましてあげたくなった。
スタジオが「Show Yourself」を削除する前提で会議している時に、彼も「この歌を残す理由が見つからないよね……」等の発言はしているが、おそらく前述の自分の仕事の至らなさからくるものだと思うし、「絵の方で凄いのにできるかも」と言っている辺り決して消したいと思ってるわけではなさそうだ(実際、素晴らしい映像ができあがったが)。どうにかして残したいロペス夫妻と同じ側かもしれない。
もしかしたら、この人が『アナ雪2』を窮地から救った立役者の可能性がある。会議後に一人抜け出し、「まだ回復させる最後のチャンスがある」と言い静かに作業に移る様は、例えドキュメントの演出であってもそう思えてならない。
1つのドキュメンタリーとしても非常に面白い本作。この胃が痛いおじさんなマーク氏の活躍も含めて大いに注目したい。