Mousou-Eiga Blog

映画を妄想で語ったり語らなかったり

【解説!『アナと雪の女王』】2つの『Let It Go』とその真実(前編)

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はじめに

 当ブログ最初の映画解説はあの大ヒット作『アナと雪の女王にしました。

 なぜ今この作品なのかというと、私が好きである映画なのはもちろん、今後2を語るには今作に触れないわけにはいかないのと、その人気の裏で多くの人に勘違いされている映画なんじゃないかと思っているからです。

 実際に公開当時のレビューでは歌ばかりが持ち上げられたり(実際素晴らしいが)、「曲だけで他は平凡」等の批判意見も多く見られて、「それだけじゃないんだよ…」と歯痒い気持ちになったりしました。

 確かに『Let It Go』は『アナと雪の女王(以下アナ雪)』を代表する曲であり、映画そのものを表している曲でもあります。「レリゴー」や「ありのまま~」というフレーズは一度は聴いたことがあるでしょう。

 しかし、この曲で大々的にプロモーションされた結果、多くの人がそれに引きずられてしまい、特に本家とは大幅に変更された日本語吹き替え版の歌詞はそれそのものは素晴らしくはあるのですが、映画が大きく誤解される要因を作ってしまったとも思っています。

 そこで、この『Let It Go』は本当はどんな曲なのか。"2つの"とは何か。そして、「アナ雪」とはどんな映画なのか。今回は今作を代表するキャラクターであり、私が愛してやまない「エルサ」を中心にして解説してみることにしました。

 もちろん、アナ雪ファンの方からしてみればとっくに考察しつくされたことであり、今更なことかもしれませんが、もっと「アナ雪」が好きになるように書いたつもりです。

 私の妄想も多いに含んでいるかと思いますが、最後まで付き合っていただければ幸いです。

 ※ここから前編だけでも2万字くらいあってめっちゃ長いので、面倒だと思ったら目次から好きなところに飛んでいただくか、太字とアンダーラインを引いた箇所を読むだけでもいいです。

 

 

 「Let It Go」はめちゃくちゃネガティブな曲

 まず最初に言っておくと、『Let It Go』は前向きな曲ではありません。めちゃくちゃネガティブなのです。

 しかし、この曲を前向きな歌だと思っている人も多いのではないでしょうか。そういう風にしか聴こえないですものね。日本語吹き替え版では意図的にポジティブにされていますし。

 でも、原語の方の歌詞やシチュエーションを紐解いていくとホントにネガティブなんですよ。マイナスな事ばっかり言ってるので。

 ここでのエルサは必死に隠してきた魔法を知られてしまったがために「もう女王なんてどうでもいい!」と開き直り、アレンデールを極寒の冬へと変え、外界との繋がりを完全に拒絶します。

 もうこのシチュエーションだけでネガティブだと分かるんですが、「Let It Go」の曲調が明るい上にエルサも伸び伸びと歌っているため、そうだと気付きにくいですよね。その上、聴いてるこっちも気分がめちゃくちゃ上がります。このネガティブだったりマイナスな場面で明るい表現を被せてくるというのがもうこの映画が素晴らしい所以なんです。

 私はこれに近い曲として尾崎豊の「15の夜」や「卒業」、XJAPANの「紅」などをイメージするんですよ。あれらも歌詞自体は暗いんですけど、気分はめっちゃ上がりますからね!

 これらに共通してるのは、辛い現実や抑圧された環境から逃げたいっていう思いを歌が叶えてくれるという点でしょう。気分は満たされて、解放されていくように感じるのですごく自由になれた気がするのだけれど現実は決してそうではない。さらに歌そのものはどんどん闇へと突き進んでいくので、危険性も含んだ歌でもあります。 

 なので、『Let It Go』を「闇落ちソング」と見ることもでき、エルサが暗黒面へと堕ちて凶悪な魔女へと変貌する過程を描いていると解釈することができます。

 まあ、凶悪な魔女だとちょっと言い過ぎな感じもするので、「遅れてきた反抗期」ですかね。要するにグレちゃったと。

 そんな『Let It Go』なんですが、実はこの映画の中では2つ存在し、全く別の歌へと最終的に昇華するのです。

 では、その意味と「Let It Go」の真実とはなんなのか。それを本家の歌詞を踏まえて解説していきます。

 まだ未練のあるエルサ

 『Let It Go』は、マントを引きずりながらトボトボと雪山を登るエルサのシーンからスタートします。

 ここが2つのうちの1つ目ですので、【第一『Let It Go』】とでも呼んでおきましょうか。

 この気持ち的には沈んでいるのに上へと登っていくという真逆の表現であるところにちょっと注目しつつ見ていただきたいです。

 ここでエルサは後ろを振り返りながら「今夜は雪が山を白く覆って足跡一つ見えないわね」と言います。雪が足跡を消したと思ってしまうところですがそうではありません。エルサの付けた足跡は背負っているマントにかき消されているのです。

 このマントを「王国を背負う重荷。魔法を知られてはいけない重圧」と考えると、かき消された足跡はエルサ自身であり、彼女は今まで王国にその存在を否定されてきた、隠されていたことへのメタファーになっていることが分かります。

 しかし、そんな何かに追われるように逃げてきたアレンデール王国をエルサは振り返ります。振り返るという事はまだ未練がある証拠です。勢いよく暗い夜の帳の中へ飛び出してきたはいいものの、女王としての責任放棄に他ならず「今からでも戻るべきかしら……」と後悔しているのでしょう。

 このマントを引きずって歩いたり、振り返る動作は未練を表すアニメーションによる演技であり、一つ一つ意味があります。ここで仮にエルサが「飛び出してきちゃったわ」等の状況を台詞で言ってしまうと、それは演技ではなく説明になってしまい、一気に陳腐になります。よく「説明台詞」などと揶揄されるやつですね。なので、エルサにいちいち言葉にさせないのです。

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まだ未練があるかのようにアレンデール王国を振り返るエルサ

 では、なぜここで後悔してしまうのかというと、エルサが"素直でいい子"であり、そのような人間であるようにずっと言われてきたからです。後の歌詞に出てくる"Perfect girl"や、「For the First Time in Forever(生まれてはじめて)」等の歌詞にある"Be the good girl"がそれです。

 エルサは女王として、人として完璧でないといけない、そこに魔法の存在など許されないのだと思い込み、ずっと自分に言い聞かせてきたのです。ある種の自己暗示というか洗脳に近いです。だから、ここで彼女は職務を放棄したことを後悔しなければ"いけない"のです。

 しかし、振り返ったところで自分の付けた足跡すらありません。マントを引きずった跡こそあるものの、それもほとんど雪で覆われて消えかかっています。自分を縛っていたはずの王国への道筋すらもう無いのです。

 エルサは後悔したところでもうあそこに戻ることなどできず、完全に独りになってしまったことを悟ります。エルサはきっと存在そのものを全否定されたように感じたでしょう。

自虐の女王エルサさん

 そして、「まるで孤独の王国。私はその女王って感じね……」とため息をつきながら言います。

 つまり自虐ですね。

 孤独の女王とかなかなか出てこない台詞ですよ。アレンデール王国でも女王なエルサですけど、あそこでも彼女は孤独でした。なので、ここでの状況と掛けているんでしょうけども、自虐に拍車がかかっています。

 ここからエルサが基本的に悪い方向にばっかり考えるマイナス思考の人間なのがよく分かります(そこがまた愛おしい…)。

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自虐モードに入るエルサさん

 自虐モードに入ったエルサさんは「私の中で渦巻く嵐のように風が唸っている。本当に頑張ったけど無理だった。それを知ってるのは天だけよ……」と呟きます。

 エルサはここで自分の身体を腕で包むように抱きしめるのですが、単に寒がっているわけではありません。

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寒そうに自分自身を抱きしめている
エルサの癖

 これはエルサが自分の中に渦巻く感情、恐れや不安を抑え込もうとする時にする仕草です。

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 要するに彼女の癖なんですね。

 感情が溢れ出すと魔法が暴走してしまうと分かっているエルサは、半ば無意識に自分を抑え付けようとしているのです。

 心も身体もとても寒い状態です。

 自分の存在がなんなのかさえ分からず震えているのです。「少しも寒くない」とか嘘っぱちなんですよ。

 とても辛いでしょう……自分の感情を表に出せないんですからね。

 私はこの仕草を見ると、彼女をそっと抱きしめたくなります。彼女の重荷を代わりに背負ってあげたい……

 これはもう結婚するしかないですね!

再び自分に言い聞かせるエルサ

 ここでちょっと曲調が変わり、エルサは何かを指さすような動作をしながら「誰も中に入れてはダメ。見られてはいけない。いつだっていい子にしているの。感情を抑えて秘密にしていなくちゃ。誰にも知られないように」と歌い出します。

 ここはどういうことかというと、エルサが再び自分に言い聞かせているシーンであり、今まで両親に言われてきたことの再現です。

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自分自身を指さすエルサ。指の先にはもう一人の彼女がいます。

 「"いい子(good girl)"でいなきゃいけない。だってずっとしてきた、そう言われてきたじゃない。こんな風にね」と過去を再現しつつ、お説教しているわけです。

 ここは「Do You Want to Build a Snowman?(雪だるまつくろう)」を見返すとわかります。ここでエルサは父親であるアグナル王から感情を抑え、魔法を見せないように言われます。これがエルサにとっての呪いとなってしまうのです。

いい子であろうとする呪い

 もちろん、アグナルにはエルサに呪いをかけたつもりは全くありません。愛するエルサが幸せになれるように、一時の我慢としてエルサにそのように言い聞かせたんです。アグナルは魔法はエルサを苦しめる恐ろしいものだと思ってしまったのでしょう*1。なら、そんなものは外に見せない方がいいし、できれば無い方がいいのだと。「愛ゆえの恐れ」なんですね。

 結果的にはそのやり方は完全に間違いだったわけですが、彼がこういう行動を取ってしまったのも無理はないでしょう。なにせ、実際にアナが魔法で大変なことになりましたし、パビーとやらが「心臓に当たっていたら救えなかった」とか「下手するとエルサ本人も危ないかもよ?」とかひたすら脅しましたしね。こいつもこいつで結構問題を根深くした一人なんじゃないかと。エルサが自分の魔法を恐れた原因はパビーにも大いにあると思ってます。

 ちょっと脱線しちゃいますが、なんというかこのパビーの思わせぶりなことばかり言うけど、結局は何もしてくれないキャラとして『スター・ウォーズ』のヨーダ*2とめっちゃ被るんですよ(見た目や未来を読んだりと似てますし)。割とパビーはヨーダをモデルにしてるんじゃねぇのか?と思ったりします。

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思わせぶりなことばかり言うけど何もしてくれない人です

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わざわざこんなもの見せて脅さなくてもいいだろうに…

 そんな風に魔法は危ないものだと刷り込まれてしまったエルサは、言いつけの通りに部屋に閉じこもっていい子にしてたんですが、歳を重ねるにつれて魔法が強くなっていき、ちょっとしたことで魔法が発動するようになってしまいます。

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ここは外に出たいというエルサの感情の発露でしょうね

 アグナルはエルサのためにと魔法が発動しないように手袋をはめてあげます。しかし、これもまた誤った行動でした。アグナルからすれば、親としてエルサを思っての事でしょうが、これは魔法の完全な否定であり、エルサにとっての手枷になってしまいます

 つまり、エルサが閉じこもる部屋は完全に牢獄になったといえ、彼女は手枷をはめられ、身も心も閉じ込められてしまうわけです。そして、それは13年間も続き、この異常な環境がエルサにとっては日常になってしまったわけですね。

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大好きな両親の言いつけをエルサは守りたかったでしょう。しかし、それはほとんど呪いのようなものです。

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ここで両親も魔法を恐れず、怯えるエルサを無理やりにでも抱きしめることができていれば、結果は違っていたかもしれません。

 過去の一連の出来事を思い出し、再び日常に戻ろう。そう自分に言い聞かせるエルサですが、それが無駄な事をエルサは分かっていました。なぜなら、もう魔法を完全に"知られてしまった"からです。

エルサは五段階の変身をする

 かつてのGood girl には戻れないことを悟ったエルサは、ここから自分を抑え込むのを止め、どんどん自分を開放していきます。行儀よく真面目なんてできやしないのです。

 そして、その変化は五段階あります。

第一の変身:手袋を脱ぎ捨て、魔法を完全に解放する

第二の変身:マントを脱ぎ捨て、王国を背負う重荷を捨て去る

第三の変身:王冠を捨てて、女王という立場を放棄する

第四の変身:結っていた髪を下ろして、自分を開放する

第五の変身:新しい服を纏い、全く違う自分へと変わる

 このようにエルサは過去や背負ってきたものをどんどん脱ぎ捨て、今まで大事にしてきたものを含めた全てを否定してしまいます。「あんなことが無ければ、こんな能力さえなければ私はこんな目に会わなかったのに」と。

 では、その変貌の様子をここから見ていくことにしましょう。

エルサ第一形態

 第一の変身は手袋を捨てるところから始まりますが、その少し前から見ていくことにします。

 エルサは手袋を捨てる前に、それを睨みつけます。これは「ずっとこんなものを付けて隠してきたのに全部無駄だったじゃない。今までの苦労はいったい何だったのよ!」と苦労が報われなかったことへの恨みや怒りの感情が現れているといっていいでしょう。手袋は自分への枷だったことにも気付いてしまったはずです。

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手袋を睨みつけるエルサ

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こんなものとはもうおさらばする。エルサは「もう魔法をみんなに知られてしまったから!」と手袋を捨て去ります。

 両手が解放され、ついに枷を外したエルサは「Lte it go,Let it go(そうよ。これでいいのよ」と魔法を試し始めます。

 エルサにされていた魔法の封印は完全に溶けた状態です。

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閉じこもってからまともに使っていなかった魔法を試し始める

 過去を捨て、魔法を使い始めるエルサは一見前向きになったように見えます。しかし、歌の歌詞を見ていくとそうではないことが分かってしまいます。

 エルサは魔法を試しながら「これでいい。もう何も隠す事なんてできないし。だからこれでいいの」と歌います。

 「Let it go」の意味は字幕版の翻訳にあるように「これでいい。もうどうでもいい」みたいなニュアンスが強いです。

 吹き替え版の「ありのままの」だとちょっとニュアンスがズレてしまうんです。

 つまりここでのエルサは、"Turn away slam the door!(ドアを勢いよく閉めるのよ)"という歌詞からも分かるように、過去を全て否定し約束事なんてもうどうだっていいんだと自分に言い聞かせて開き直ってるだけなんですね。

 そう、エルサは今度は自分の言葉で自分を閉じ込めてしまっているのです。

 過去を捨ててしまうということは、今までのエルサの人生全てを否定する事とイコールであり、それはエルサが別の存在へと変わってしまうことでもあります。

 "過去を振り返らない"というポジティブな見方もできなくはないんですが、ドアを"勢いよく"閉めるという表現からしても後ろ向きでしかないでしょう。

 つまり、ここからエルサが暗い闇に堕ちていく…魔女化が始まります。そして、それは変身をする度に顕著になっていきます。

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半ば無意識に作ったこの雪だるま(オラフ)は、後に生命を宿して動き出します。新しい生命を創造できるのは神のみとすれば、それに反する所業は正に悪魔の従者である魔女そのものだとも言えます。

 エルサ第二形態

 雪だるまを作ったりして、「誰が何と言おうと気にしない」と開き直り始めたエルサは第二の変身へと向かいます。

 ここでついにエルサはマントを脱ぎ棄て、自分を縛り付けていた王国を放棄します。重荷を捨てたため、心も身体も開放されたからいいのでは思いたいところですが、そうもいかないのです。

 マントを捨て去る直前に、エルサは恐ろしいことを口走ります。

 「Let the storm rage on(嵐よ、もっと吹き荒れるがいい)」と。

 つまり、「嵐が吹き荒れようともう私は気にしないし、もっと吹き荒れてしまえばいい」とほとんど無意識に願ってしまう。そして「The cold never bothered me anyway(だって、私はちっとも寒くなんてないんだから)」と言いながら、マントを捨てます。

 寒くないって言うだけなら単純な話なんですが、これはかなり自分勝手な理論なんですね。悪役(ヴィラン)が言うような「自分の理想の世界を作り、好き勝手生きようじゃないか」と同じです。

 フィクション世界の悪役は、例え崇高な目的があったとしてもそれはエゴ*3からくることが多いです。

 『スター・ウォーズ』を例に出せば、暗黒面に堕ちたアナキン・スカイウォーカー*4がパドメに「銀河を支配して、二人で思うがままに生きよう」と言い放ちます。正義のジェダイだったアナキンとは別人のような言動に、パドメは強いショックを受け絶望してしまいます。

 エルサも同じように、善の側にいた人間とは到底思えないような思考をしてしまっているわけですね。彼女が悪の道に近づいているという証左でしょう。

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悪に堕ちた人間は自己中心的な思考をしがちです

 魔法を解放したエルサは恐らく身体的な寒さはほとんど感じなくなっており、どんなに嵐が吹き荒れようが全く問題がないのです。他の人は凍えてしまうかもしれないのに…。

 そんなエルサの思いと共に、マントは風に乗って飛んでいきます。

 アレンデールの方角に…

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マントがアレンデールの方に飛んでいくということは、エルサの無意識の呪いも王国に飛んでいったということになるでしょう

 マントを捨て、この支配からの卒業をしたエルサさんはどんどん自由へと踏み出していきます。

 ここでエルサは「笑っちゃうわよね。ここから見たら何もかもちっぽけに見えるなんて。かつて私を支配した恐怖はもう何もできやしないんだ」と振り返って後ろ歩きしながら言います。

 この視線はマントの飛んでいった先であるアレンデール王国があります。映画の映像には王国の灯りなどは映ってはいませんが、エルサの目にはハッキリとそれが映っているはずです。「あえて見せない」という抽象的表現なのです。

 つまり、ここでのエルサの心境は、あんなに自分にとって大きな存在で重荷でもあった王国がここからはとても小さく見えることで、今までの悩みが馬鹿らしくなって嘲笑ってるんですね。

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エルサの目にはハッキリと自分のいた王国が映っている

 ここで、ちょっと冒頭のシーンを思い出して欲しいんですが、エルサはあの時は未練があるように振り返っていました。しかし、ここではニコニコ笑いながら後ろ歩きして王国の方を見つめながら遠ざかっています。そして一気にそれに背を向けて駆け出します。もう未練などなく、王国になんて戻らないという決意の表れです。冒頭との対比構造になっているのが分かります。

 エルサ、ついにグレる

 エルサ第二形態の説明はもうちょっと続きます。ここが一番重要なポイントだと私は思うので。

 駆け出したエルサは「私に何ができるか試す時よ。自分の限界を超えなくちゃ」と深い谷(峡谷)の間に階段を作ります。

 ここに深い谷があるというのがまた重要です。単に山だから深い谷があったというわけではなくて、ちゃんと意味があるのですが、それは後ほど説明します。

 

 峡谷に階段を作ったエルサは、谷を見下ろしながら「私には善悪もルールも関係ない」とまた恐ろしいことを言っちゃいます。前にも述べた通り、悪役の理論ですね。

 そして、エルサは「I'm free!(私は自由よ!)」と力強く言って階段に足を踏み出します。まさにここがエルサにとっての分岐点です。「I'm free!」はそのままの意味ではないんです。「私と契約しよう」と囁く悪魔に「するわ!」と返答したことも同時に表しています。エルサは暗黒面に足を踏み入れて、魔女になることにしたんですね。

そう、ついにグレてしまったんです。自由になれた気がした21の夜ですよ。

 なぜそう言えるのかというと、先程の峡谷の要素も含めて説明します。

この峡谷は要するに善悪の境目です。

 映画では何かの分岐点を表す際に、それを「線」で表現することがあります。単に一本の線としてではなく、例えば道に残ったタイヤの後だったり、通路だったり、影や明かりだったりします。それを越えるかいなかで、登場人物の経過や行く末を見ることができます。

 この峡谷がその「線」とすれば、エルサはそれを越えずにいい子ちゃんのままでいるか、それとも越えてワルへとなるのかの選択を迫られていることになります。「この先へ進んだら悪への道。悪魔になるか人間のままでいるか、さあ選べ!」と谷は囁いていたのです。それをエルサは躊躇せず渡ってしまうのです。

 映像でも一瞬ですが"ここに深い谷がありますよ"と明確に示しています。

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白く光る魔法が暗い谷をより不気味に演出しています

 わざわざここで映すのですから、意味が無いわけがありません。ディズニーのような一流のアニメーション制作会社ならなおさらです。

 深くて暗い谷は闇へと堕ちることへのメタファーでもあるということでしょう。

エルサが明るく歌い、美しく魔法が発動しているのと一緒に深く暗い谷を映すことで、彼女が闇へと堕ちていっていることをより強調しています。

 そして、エルサは笑いながら「Let it go!  Let it go!  I am one with the wind and sky!(これでいいのよ!かまわない!風と空は私と一つなんだから!)」と橋を作りながら、勢いよく峡谷を渡って登っていきます。気分的には盗んだバイクで走り出してる感じですかね。

 ここまでは単に私の考察に過ぎない、妄想の類だと言えなくもありませんが、実はそうと言い切れない明確な根拠があります。

 それが"スクリーンディレクション"です。

スクリーンディレクションとは

 スクリーンディレクションとは画面内で動いている人物や物の動きのことです。

それが何を意味するのかを簡単に説明します。

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  • 左右の動き

 人は左から右への動きを心地よく感じるが、逆に右から左への動きは心地よく感じにくい。

 言い換えれば、右への動きは陽(ポジティブ)。左への動きは陰(ネガティブ)とすることができます。

 これは人の目が普段から文章を読むことに慣れているため、左から右の流れを心地よく感じるのだそうです。このブログも左から右ですよね。

  • 上下の動き

 画面の下方向への動きは、重力に従っているため容易に見えることが多い。画面の上方向への動きは重力に逆らっているため困難な動きに見えやすい。

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 上記を踏まえて、これまでの『Let It Go』の一連のシーンを振り返ってみましょう。

 できれば、最初から映像を確認して欲しいのですが、エルサは峡谷のシーンに至るまでの全てにおいて左方向に移動してるんですよ。それは『Let It Go』のみならず、エルサのシーン(少なくとも成人してから)のほとんどにおいてそうです。明確に右方向に移動したのはラストシーンのみです。

 偶然なんじゃないか?と思うかもしれませんが、ディズニーほどの会社がこのスクリーンディレクションを無視して映画を制作してるわけがないのではと。

 『アナ雪』全てのシーンがそうだと言うつもりは全くありませんが、少なくともエルサの演出に関しては明確に意識して作られていると思います(では上下の方はどうなのか?という疑問も出てきたと思いますが、それは後ほど説明します)。

 以上の点からしても、『Let It Go』には意図されたネガティブさが含まれていることとエルサが闇に囚われていっているのは明確でしょう。スクリーンディレクションを知らなくても「明るいけどなんか違和感あるなぁ」と感じていた人は多いんではないでしょうか。

ついに氷の宮殿を建てるエルサ

 峡谷を渡り切ったエルサは「もう決して泣かない。誰も私が泣くのを見ることはないでしょうね」と、ちょっと辛そうな顔をしながら言います。ここは人前では泣かないという意味だけではなくて、もう誰にも会わないのだという意思表示も入っています。今まで一人の部屋で泣いてきたのでしょうね……

 でも、それももう止めにすると。二度と泣くことは無いし、例え泣いたとしても誰にも見られることはない。だから、泣いた事にもならない。これでいいんだと。

 しかし、泣きそうな顔の後の開き直った笑顔を見ると本心からなのだろうかと疑ってしまいます(ここも映像を確認して欲しいです。いろんな表情をしてますので)。

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表情の変化も重要なポイントです

 泣かない決意をしたエルサは更なる決意表明をします。

 「Here I stand(私はここに立つ!)」と力強く言って、足を高く上げて思いっきり振り下ろします。すると氷の結晶が出来上がって広がっていきます。

 この足を高く上げて振り下ろすというのが強い決意の表れです。地面を踏み鳴らすような音も相成って、その効果を高めています。今まで隠されて育ってきたエルサの魂の叫びですね。「私はここにいるぞぉ!」と。

 その後「and here I'll stay(そしてここに残る)」と続き、大きな氷の結晶が出来上がります。これは巨大な魔方陣のようなものですね。強力な魔法の準備が調った状態です。「 I'll stay」の「will」は「意思」という意味でいいでしょう。つまり、ここの一連のシーンは「この雪山こそが私の居場所だ。私はここから二度と動かない。とにかくもう王国や城には帰りたくない!」という明確な決意表明です。

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力強い動作がエルサの意思の強さを表しています

 決意表明後、「嵐よ吹き荒れればいい」とまた怖いことを言います。これで二度目です。もう結構悪い顔をしてるので、悪に染まってきたのが分かりますね。

 そして更に悪い顔をしながら(無邪気な感じにも見えます)、ついに氷の宮殿を建てます。自分の力の限界に挑戦してるんですね。城を建てちゃうとか凄まじい魔力ですよ。地面から城の土台がグングン伸びていくというダイナミックでとても迫力のあるシーンです。

 ここで先程のスクリーンディレクションの上下の要素に触れていきます。

 上下の移動についておさらいをしてきますと…

  • 画面の下方向への動きは、重力に従っているため容易に見えることが多い。画面の上方向への動きは重力に逆らっているため困難な動きに見えやすい。

 宮殿は上へと伸びながら作られていくので上方向の移動ですね。つまり、エルサは困難であるはずの宮殿の建設を簡単に行っているため、彼女の魔法がとても強大であることを示しているといえます。宮殿が出来上がる中で、エルサの魔法はどんどん強力になっていくのです(解放されていくとも言えます)。

 それと同時に、エルサがより困難な道へ歩んでいることも表しています(この後のストーリー的にも分かりますよね)。

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エルサの魔法はより強大になっていく

エルサ第三形態

 ようやく第三の変身まできました。エルサは氷の宮殿を作りながら歌い続けます。

 「我が力は大気から地に満ちる。我が魂は氷の結晶の螺旋を描き、凍てつく突風のように我が意思を結晶化する。」

 ちょっと中二チックにしてみましたが、要するに呪文詠唱みたいなもんです。

 ここでついに王冠を捨て去るのですが、その前にここの歌詞も分析しておきましょう。

 「螺旋」がキーワードに思います。「螺旋=渦巻」は冥界や生と再生の循環の象徴とされることが多いです。それを主軸として、歌詞を紐解いてみます。

 魔法はエルサの感情の表れなのは映画を見るに明らかなので、「力は大地から地に満ちる」というのは彼女の想いが地に広がっていくことを意味し、「氷の結晶の螺旋」はそれが渦巻いていること、そして今までの辛かった記憶が「循環」している(繰り返し蘇ってくる)ということでしょう。それらの想いや記憶がこの氷の宮殿を形作っているということです。更に生命の循環という点で見れば、過去のエルサは死に今のエルサへと生まれ変わったと考えることもできます。つまり、宮殿はエルサそのものでもあるのではないでしょうか

 美しい宮殿ですが、ところどころ鋭利のように尖った部分があるのはエルサの辛い感情の表れと見ることもできるでしょう。

エルサ、女王辞めるってよ

 氷の宮殿を作り上げたエルサは、「私は決して戻らない。過去はもう過ぎたことよ」と被っていた王冠を勢いよく投げ捨てます。マントを捨ててアレンデール王国を放棄したエルサは、ついにその女王であることも放棄してしまいます。

 ここも手袋を捨てた時と同じように、王冠を一瞬睨みつけるんですよ。

 「こんなもの被りたくなかった。女王になんてなりたくなかった。これを被らされたせいで秘密を全部知られてしまったんじゃない」

 そう言ってるように見えます。

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ギロッと王冠を睨みつけます

 そして、ニヤッと意地悪く笑って王冠を放り投げる。投げた後なんて清々しいほどの笑顔です。「ほぅら、捨ててやったわよ! どんなもんじゃい!」って。

 王冠はまさに女王としての象徴ですから、「もう女王は辞めた。もう元の私になんて戻らない。絶対に女王になんてならない」と女王としての自分を完全に放棄したんですね。なりたい自分になるんだと決意を固めたからこそ、こんな顔ができたんです。

 そう、「雪の女王」になるという決意です。

エルサ第四形態

  背負っていたもの全てを捨てたエルサは、アップにしていた髪を下ろして三つ編みを作ります。お馴染みのエルサの姿になってきましたね。第四の変身です。

 このシーンはホントに優雅で、ちょっと妖艶でもありますよね。なんだがイケナイものを見ている気分になります。

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鬱憤が溜まってた分、派手な髪型にもしたくなりますわな

 ここでの「Let it go!  Let it go!」は「かまわない! どうでもいいの!」という意味が強いでしょう。直前の歌詞にかかってる言葉ですね。「王国も女王もどうでもいい! 私は自分の生きたいように生きるんだ!」と。

 髪を下ろすのにももちろん意味があります

 今のエルサさんはグレてますから、髪型をちょっと奇抜にしたい気分なんだってことで終わりにしてもいいんですけど、もうちょっと紐解いてみますか。髪だけに。

 まずは心の解放ではないでしょうか。アップにしていた髪は王冠を捨てても残っていた堅苦しい女王としての姿でもありますから、それを捨てて違う自分になるということ。

 もう一つの意味は、「下ろす」というのは下方向への動きですから動き出したものは止まらない。「もう私を止めることはできない」ということにもなるでしょう。

 三つ編みにすることもまた意味があるのではないかと思います。三つ編みもまた「捻じれ(螺旋)」の一種であるとすれば、女王である自分とそれを捨てた自分が循環している、要するにまだ迷っているのではないかと考えることもできます。それを結んで閉じてしまうことで、心を無理やり閉じていると見ることもできるんじゃないかと思います。

 エルサはこの後二度と髪をアップにすることがないので、単純にこの髪型が気に入ってるのかもしれませんけどね。

エルサ第五形態

 ついに最後の変身ですね。あの青いドレスを纏います(この時はまだ更なる変身を残しているとは思いもしなかった…*5

 ここでエルサは「And I`ll rise like the break of dawn!(そして、夜明けのように私は立ち上がる!)」と歌うんですが、字幕で「新しい夜明けよ」と訳されているように「生まれ変わる」とか「復活する」みたいな意味合いが強いと思います。

 要するに魔女の誕生です。

 悪に染まった人間は暗いイメージの衣装を身にまとうことが多いですが、エルサはその逆です。これも『Let It Go』がその曲調に反して暗いように、エルサのドレスもその明るさに反してダークなものであるというわけです。

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ダース・ベイダーはイメージに沿った色を身にまとう代表例でしょう

 鮮やかなドレスを作り上げたエルサは「Let it go!  Let it go!(これでいいのよ! これで!)」と歌いながら、さらに青いマントを作り上げます。どんどん派手になるあたり、まさにグレているといえるでしょう。

 第二の変身で捨てたはずのマントをここでまた身に着けるのは、あんな縛られた王国よりもこの自ら作った氷の王国こそが私には相応しいのだという宣言です。

 あの赤いマントとこの青いマントは対になっているのです。

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エルサは青いドレスとマントを身に着け、自分が相応しいと思う姿に変貌する。

 そして「That perfect girl is gone!(あの完璧な女の子はもういない)」と高らかに歌います。「あの完璧な女の子」は、もちろん今までのエルサのことを示しています。

 「perfect girl」は、「まだ未練のあるエルサ」の項目で説明したように「素直ないい子」であることを強いられていたエルサであり、第二形態の項目で述べた峡谷を渡る前のエルサのことなのです。

真実のエルサ

 ここで注目して欲しいのは、「That perfect girl is gone!」という台詞と共に床に映り込んだエルサを見せてからエルサ本人に視点が移っていくところです。まるで二人のエルサがいるように見えます。

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氷でできた床にエルサの姿が映っています。わざわざ描写するのですから、意味があるはずです。

 私の妄想的解釈をすれば、鏡は真実を映すと言われるように、氷は本当のエルサの姿を映し出しているのではないかと。

 本当のエルサというのは善である"いい子"の彼女です。何故、いい子のエルサが本当の彼女なのかは少し後に説明しますが、ここでは善のエルサと悪のエルサが共存していてるのではないでしょうか。そして"gone"という言葉と共にエルサ本人に視点が移動することから、善のエルサが封じ込められことを描写してるのでしょう。

 映画では、毎回エルサの姿を氷に映してはいませんが、実際は常に彼女を映し出しているはずです*6。つまり、エルサはずっと本来の自分に囲まれるような場所にいるわけですね。果たして、それが本当に居心地のいい場所なのか疑問に思ってしまいます。

レリゴーポーズ 

 そしてエルサは「私はここに立つ。陽の光の中で」と続けながら、文字通り朝日が差すバルコニーへと出てきます。

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私はこれを勝手に「レリゴーポーズ」って呼んでます

 暗い場所から明るい場所に出てくるので、非常に前向きに見えるのですが私が何度も述べているように、「Let It Go」ではそのままの描写ではありません。

 エルサ本人の心理描写としては、背負っていたものを全て捨て、成りたい自分になったのですから、正に陽の当たる場所に出る新しい門出でしょう。しかし、同時に魔女へと変貌しているのですから、決して明るい道ではないことが見てきます。

 それは次の言葉で明確に分かります。

エルサ最大の罪「無自覚の呪い」

 「Let the storm rage on!!!(嵐よもっと吹き荒れろ!!!)」

 これこそエルサ最大の罪です。

 この台詞はここまで2回出てきており、合計3回言いますが、だんだんと言い回しが強くなっていくんですよ。エルサは無意識に呪いを重ねていったのです。

 これまでは「嵐よ吹き荒れろ」と言いつつも、「吹くなら吹けば?」的なまだ軽いものだったんですが、ここでは三度目の正直と言わんばかりに力強く叫び、カメラがいっきに引いて氷の宮殿全景を映し出します。

 これはつまり、アレンデール中に嵐が吹き荒れる呪いがかかった瞬間です。

 しかし、エルサはその事実に気付いていません。

 後にアナに「アレンデールが雪に埋もれている」と言われた時に素で驚いていることからも分かります。

 だから「無自覚の呪い」なんです。

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エルサは無自覚にもアレンデールを雪で埋め尽くしてしまう

 エルサは自分の力の強大さに無頓着な上に、なりたい自分になれてテンションバク上がりな状態だったので思わず言っちゃったと。

 よく私達も自暴自棄になった時「何もかもどうでもいいわい! 世界なんて滅んでしまえ!」とか思うわけですが、当然世界なんて滅ぶと思ってませんし、本気で滅んで欲しいなんて願っていないわけです。それと一緒です。

 だからこそ、最大の罪なんですね。何もかも投げ捨てて「クソどうでもいい」と自暴自棄になり、自分勝手な思考に囚われて無意識に呪いをかけてしまう。

 それがどんな結果になるのかエルサは知る由もありません。今まで引き籠っていたエルサが、急に外で自由に振舞ったところで上手くいくわけがないんです。グレ方を知らなかった悲劇とも言えます。

少しも寒くないわ

 ついに歌の最後がやってきました。超有名な台詞であり、決め台詞「The cold never bothered me anyway(どうせ寒さなんて平気なんだから)」ですね。

 吹き替え版の「少しも寒くないわ」の方が馴染み深い人も多いでしょうか。

 これは単純に「嵐が吹き荒れようが平気よ」という身体的に寒さを感じないということでもありますが、他に「一人でも全然平気よ。だって昔から一人だったし」という意味も含まれています。

 それはもう自信満々に言ってますね。清々しいほどのドヤ顔です(ちょっと悪い顔にも見えますが)。ここはカメラ目線で言っていることに注目してください。映画では登場人物がカメラ目線になる(観客に視線を向ける)場合は、そのほとんどにおいて意味があります。フィクションの登場人物が現実世界の観客に対して語りかけることを「第四の壁を破る」っていうんですけど、ここもそれと似たようなシーンではないかと思います。エルサは国民や妹であるアナ、そして我々観客に向けて「見た?ほら、これが私なのよ」と宣言しているのです。

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戴冠式の時と比べると表情も化粧もハッキリとして、自意識の表れが見えますね。「グレてやったわよ」って。

 ここでちょっと横道に逸れまして「エルサ、ドヤ顔のジンクス」を紹介したいと思います。

 私が勝手にそう呼んでるやつなんですが、エルサはドヤ顔をすると必ず酷い目に会う(またはする)のです。

エルサ、ドヤ顔のジンクス

 まずは上記で述べた「少しも寒くないわ」の時のドヤ顔ですね。

あんなに高らかに主張したのに、この後は命を狙われるわ妹は死ぬわで散々です。

 次はこの顔。

 短編アニメの「エルサのサプライズ」でのドヤ顔です。

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完全に風邪を引いてる癖に「風邪はひかない」とか言いやがるエルサさんです

 アナに「風邪ひいてるんじゃないの?」と例のごとく図星を突かれたエルサさんは、「そんなわけないでしょう。だって寒くないし」と強がります(変わってねぇなこの人)。

 私はこの顔がこの後の醜態も相成って大好きなんですけど、毎回笑ってしまいます。

 エルサはくしゃみをしながら小さな雪だるま(スノーギーズ)を大量に生み出して国民に迷惑をかけるわ(これまた無自覚に)、熱で思考回路が崩壊してアナを心配させたりと、酷い有様です。とても女王には見えぬ……

 「エルサのサプライズ」はかわいいエルサさんがたくさん見れて好きなので、また後で感想記事でも書こうかなぁと思います。

 最後はこれ。

 『アナ雪2』の「Show Yourself」でのドヤ顔です。

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「もう準備はできているわ」とドヤるエルサさんです

 この曲ではもう魔法を使いこなしている自信満々のエルサさんですから、ドヤ顔し過ぎなんですよね。エルサがこの後どうなったか、皆さんはよくご存じなことでしょう。

 以上、「エルサ、ドヤ顔のジンクス」の紹介でした。

 完全な拒絶

 では、『Let It Go』に戻ります。

 自信満々に「ほら、寒くない」と宣言したエルサは背を向けてドアを勢いよくバーン!と閉じてしまいます。

 これは外界との完全な拒絶を表しています。「誰がなんと言おうと私はここから出ないし、話を聞きませんよーだ!」って。せっかくなりたい自分になったのにまた閉じこもってしまうとは……。やってることが基本的に変わっていない上に、今までよりも強い拒絶の意思があり、完全に逆行してますね。

 これまでは背負っていたものを捨て、自由になる様を見せていたので前向きと捉えることも可能だったのですが、背を向けて扉をバーンと閉めちゃうのはとても前向きではありませんよね。

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バッと背を向けて…

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バーン!と勢いよく、そして優雅に扉を閉めちゃいます

 ここが『Let It Go』がネガティブであるという決定的なシーンだと思います。

 いや、エルサは一人の方が楽なんだから自由でポジティブなんでは?という見方もあるとは思いますが、そうとは言い切れないんですね。

 それは「あんたホントに寒くないんですか?」問題があります。

本当に「少しも寒くない」のか?

 エルサの癖の項目で"少しも寒くないなんて嘘っぱちだ"と述べているので、どういうことかお分かりかと思うんですが、要するに単なる強がりなんですね。

 つまりエルサの本質は何も変わってないということになります。本当は寂しくて仕方なく、誰かの助けを求めているのです。しかし、エルサは自分が側にいるとその人が危険な目に会うと思っているため、心が寒くて仕方なくても一人でいないといけない、一人でも平気なんだと自分に言い聞かせるしかないんですね。*7

 それを踏まえると、エルサはまだ完全には闇に堕ちていないということも見えてきます。

中途半端な闇落ち

 これまで散々闇落ちだの魔女化だの言っておいてなんですけども、エルサは完全には堕ちていません。最初に述べたように、"まだここの"段階では。

 エルサ本人からしたら、何もかもどうでもよくなって絶望してる状態ですから、自分は悪なんだ、魔女なんだって思ってるのでしょうけども悪としては中途半端な状態です。

 それは何故かといえば、エルサが"素直でいい子"だからです。

 「え? エルサはいい子でいることを強いられていたんだから、魔女であることが本質なんじゃないの?」と疑問を抱いたかと思います。

 違うんです。「真実のエルサ」の項目で、床に映ったエルサが本来の彼女だと述べたように、エルサは本当にいい子で優しいんです。

 エルサが閉じこもった理由はアナを傷つけないこと、そしてこれ以上自分の魔法で悲劇が起こらないようにするためです(パビーの見せた幻でエルサ自身にも危険が及ぶ可能性を見せられたというのもあるでしょうけど)。だから、制御できるまでは手袋をはめて誰にも会わないようにしていたんです。両親に言われたというのももちろんありますが、最終的にそれを決断したのはエルサ自身です。

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エルサは自ら扉を閉める

 そう、彼女は自ら牢獄に入ったんです。愛する人を守るために

  いつ自由になれるかも分からないのに、自分を犠牲にして魔法を秘密にしていようと必死に頑張ってきたのです。魔法の力があれば「こんな生活クソくらえだ!」っていつでも逃げ出す事ができたはずです。でも、それをしなかったのは彼女が愛と優しさに溢れた人間だからです。

 しかし、悲しいことにエルサ本人は自分の魔法で大切なアナを傷つけてしまったという事実、そして両親やパビーの誤った行動によって、こんな危険な力を持っている自分は悪い人間なんだと思い込んでしまいました。

 だから、エルサは「いい子でいなくちゃ」とずっと自分自身に言い聞かせていたんですね。そんな必要ないのに。

 ずっとずっと頑張ってきたのに魔法がバレてしまって、化け物とか言われ、国民には怖がられ、必死に守ってきたアナはといえば変な男を連れてきて「会ったばかりだけど結婚する」とか言い出し、話も聞いてくれないし、おまけに「何をそんなに怖がってるの?」と確信を突かれたら、そりゃあグレたくなりますって。

 そして「もういいわよ! だったら本来の悪い人間になってやるんだから!」と開き直って、この魔女の姿こそが本当の自分なんだと宣言しちゃうと。

 でも、人が良すぎるせいで完全には悪に堕ちきれなかったんですよね。やったことといえば、夏のアレンデールを極寒の冬に変えたくらいです。

 いや、充分に悪いことなんですけどね! クリストフのように商売に影響が出てしまう人もいますし、私が最大の罪だと述べたようにこの後どんどん嵐は強くなりますので。

 だけど、まだ引き返せる段階ではあるんです。だって、殺人を犯したとか取り返したのつかない罪を犯したわけではないんですから。夜の校舎の窓ガラスを壊して回った程度のもんです(これも悪いことですけど!器物損壊罪に成りますから!)。寒さで死んだ人もいるんじゃないかと考えられなくもないんですが、オーケンの店で呑気にサウナに入ってる家族とかがいるように、案外みんなたくましく乗り越えたんじゃないかなと思います。

 それに本気で国を雪で覆うつもりはなかったからこそ、この後それを知った時にめちゃくちゃ後悔しちゃうわけで。

 完全に堕ちた人間は、自分のしでかしたことに後悔なんてしませんからね。まだ善の心が残っている証拠です。

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アナと対話できる余地があった点からもしても、元の彼女は残っていると言えます。

 扉をバーン!と閉めてしまったのも、自分も他人も守るにはこうするしかなかったというか、ずっと引き籠ってきたエルサはそれしか方法を思いつかなかったんですね。扉を開いて失敗したのだから、ならもっともっと強く引き籠ってやろうと。

 エルサも周りも間違い続けた悲劇であるといえます。『アナ雪』はこの間違いを清算する話でもあるのですが、それは後編の方に回すとします。

 

 これで前編である、【第一『Let It Go』】の解説は終わります。年甲斐もなくグレちゃったエルサさんがおわかりいただけたでしょうか?

 とても多くの意味が込められていて、ポジティブな曲というわけではないことが分かります。なので、日本語吹き替え版の歌詞は変えられ過ぎていて適性ではないんです。少なくとも"この時点"では(重要な部分なのでよく覚えておいてください)。

 後編ではここでの解説も踏まえつつ、エルサさんの更なる掘り下げともう一つの『Let It Go』について迫っていきますので、引き続きよろしくお願いします。

 

→後編です

 

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参考資料

*1:アナの事故直後に部屋に入ってきた時に「もう手に負えない」と発言していることから、元々魔法を危険だと思っていた可能性はあります。両親の描写については2でフォローが入りましたが、1作目の時点では明らかにエルサの魔法を恐れていたと私は解釈しています。

*2:スター・ウォーズ』を代表するキャラクターの一人。何世紀にも渡って生き、知恵と技能に長け、多くのジェダイを導いてきた偉大なジェダイマスター。しかし、シスの暗黒卿パルパティーンの暗躍を見破る事ができず、銀河帝国誕生を阻止することができなかったり、アナキンの悩みにいつものジェダイ的説教をするだけだったりとポンコツな面も目立つ。

*3:自己、自我

*4:スター・ウォーズ』EP1~EP3の主軸となるキャラクター。正義のジェダイだったが、暗黒面に引き込まれ、悪の化身ダース・ベイダーへと変貌する。しかし、後に実の息子の"真実の愛"により、再び善の心を取り戻す。

*5:『アナ雪2』の精霊エルサのことです。

*6:特定のシーンでのみ描写するということは、それに明確な意味があるということになります。

*7:公式本である「THE ART OF アナと雪の女王」や「アナと雪の女王 ビジュアルガイド」などのエルサのキャラクター紹介で「誰かに助けて欲しい。側にいて欲しいと思っている」とありますので、そのようなキャラクターとして描いているのは間違いありません。