Mousou-Eiga Blog

映画を妄想で語ったり語らなかったり

【考察『シン・ゴジラ』】ゴジラに魅了された矢口。彼はどうしても自らの手でゴジラを倒したかった。

 2020年7月29日で「シン・ゴジラ」公開4周年。今年から始めた当ブログでいつか扱おうと考えていた映画なため、この機会にと公開時から感じていた矢口蘭堂に対しての違和感を語ってみようと思う。最後までお付き合いいただけたら幸いである。

 矢口はゴジラに魅了されていた

 矢口蘭堂巨災対を率いてゴジラに立ち向かう本作の主人公だ。ゴジラが日本を脅かす敵だとすれば、矢口はそれを倒す正義の側である。

 先入観にとらわれず、早くから巨大不明生物の存在を示唆し、実力ある人間は地位や立場に関係なく招き入れ、コネがあるなら遠慮なく使い、その正義感で最後まで日本を救うために全力で尽力する正に新時代の政治家だ。理想主義者な面はあるが、返ってそれが核を使わせずにゴジラを倒すことにも繋がったと言っていい。

 そんな非の打ち所がないほど完璧に主人公をしている彼だが、私は同時に強烈な違和感も覚えていた。彼は本当に正義の人なのかということだ。むしろ、本作の登場人物の中で一番ゴジラに魅了され、その存在を喜んでいた人物なのではないのかと。

 何故、私がそう感じるのか。それをこれから根拠も交えて解説していく。

最初の映像から"巨大不明生物"に惹かれ始めていた矢口

 一般市民が投稿した巨大不明生物の映像を食い入るように見つめる矢口。この映像が本物なのか、映っているものはなんなのかを確認しているシーンであり、真っ先に最新情報が出回っている可能性のあるネットで調査をしているという、矢口が他の旧態依然とした頭の固い政治家とは違う柔軟さを備えていることを示すシーンだ。

 だが、私はこれだけではないと見ている。既に矢口はこの得体の知れない生物に惹かれ始めているのだ。それは秘書官である志村祐介に呼ばれるまで画面に釘付けな様子、そして矢口の性格もあるが巨大不明生物の存在を食ってかかるように進言していることからもうかがえる。彼は最善の災害対策を行いたいのと同時に、皆に生物の存在を知って欲しい、認めて欲しいのだ。

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食い入るようにスマホを見つめる矢口。理想主義の彼は未知の存在にも興味を示す。

「凄い……まるで進化だ」完全にゴジラに魅了された矢口

 巨大不明生物が俗にいう蒲田くん(第2形態)から品川くん(第3形態)に変態した場面で、矢口は目を見開き「凄い……まるで進化だ」と口にする。ここから矢口は既におかしい。

 得体の知れない生物が更に形状変化させたのだから、普通なら戸惑い恐怖するはずだ。だが、矢口は違った。「凄い……」と感嘆しているのだ。これは思わず口から出てしまった言葉なのだろう。おまけに「まるで進化だ」と付け加える。変化や変態とするなら分かるが、進化という言葉はあの場面では直ぐには出てこないだろう。賛美しているとすら言える。なので、このシーンは矢口がゴジラに完全に魅了された瞬間といえるだろう。そして、それはこの映画を観ている我々も同じだ。「シン・ゴジラ」初見時は今までのゴジラとは似ても似つかない蒲田くんの姿に、誰しも「この生物はなんだ?」と思うだろう。そして、それがよく知った"ゴジラ"の形に近づいていく。そこで我々は思わず思う「凄い……」と。まさに"進化"じゃないかと。そう、矢口の目線は我々とシンクロしているのだ。矢口はもう完璧な"ゴジラファン"である。

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目を奪われるとは正にこの事。巨大不明生物に彼はすっかり魅了されてしまった。
名前を付けることに意味がある

 巨大不明生物はカヨコが持ってきた牧教授の資料から、大戸島に伝わる神「呉爾羅」にちなんだ名があり、英名で「GODZILLA」とされていることが分かる。ここで巨大不明生物が正式に"ゴジラ"とされるわけだ。この時の矢口の反応もまた面白い。「本来のゴジラにしよう」と言った時が妙に嬉しそうなのだ。まさに大好きな存在を名前で呼ぶことができたことに喜びを感じていると言っていい。大河内総理の「名前は付いている事が大切だ」という言葉通り、矢口にとって名前というのは重要だったのだ。名があるということはその存在を認めるということでもある。そう、この映画で明確に"虚構"である"ゴジラ"が認められ、"現実"となる。それは映画を観ている我々も同じだ。よく分からなかった生物に名が付き、「ああ、あの生物はゴジラなんだ」と安心するのである。

 この直後に赤坂が「名前なんてどうでもいい」と発言するのも面白い。現実主義者の赤坂を象徴するシーンだ。彼にはあの生物の存在は到底受け入れられないのだ。赤坂が"ゴジラ"と呼ぶことは一度もない点からしてもそれが窺える。矢口と赤坂はゴジラのスタンス対しても非常に対照的だ。

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いつまでも無名のままでは、あの生物はいつまでたっても「ゴジラ」にはならない。

ゴジラを神格化し始める矢口

 ゴジラが鎌倉さん(第4形態)に進化し、日本に再上陸する。ここから矢口のゴジラへの熱は更に増していく。

 まずはこの台詞「更に進化したゴジラ第4形態です」と言う場面。まるで推しの成長を自慢するオタクのようである。

 そして次。タバ作戦が失敗し、ゴジラが人間の手には負えない恐るべき生物だと判明する。ここで矢口が口にするのはまたしても恐れや戸惑いではない。作戦が失敗しているのにも関わらず、自衛隊のように悔しがったり、この先を憂うこともしない。「まさに人智を超えた完全生物か」とゴジラを神格化するかのような言動をする。いや、もう矢口にとっての神となっているのだろう。国家を守る立場の人間として徐々にズレてきている。

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彼にはもうゴジラしか見えていない。

ゴジラを実際に見れて感動の矢口

 米軍によるゴジラの攻撃が決定し、矢口らも政府官邸から避難することになるが、ここでようやく矢口はゴジラをこの目で見る。生ゴジである。

 「あれがゴジラか……」と呟き、その存在を見つめる彼は正に信じる神を見つめるかのよう。今までモニター越しの"虚構"でしかなかった存在が、ついに"現実"としてその前に現れたのだ。もし、ゴジラファンである我々の目の前にゴジラが実際に現れたとしたら、この矢口のように呟いてしまうだろう。

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矢口の目線はゴジラファンと大差ない。

ゴジラの出す"光"に魅入される矢口

 矢口がゴジラに魅了されている面が如実に表れている場面がここだ。

 俗にいう内閣総辞職ビームのシーン。ゴジラは米軍機の攻撃から身を守るために、光線状の放射線流を放つ。成す術もなく米軍機が叩き落されていくのを矢口は避難も忘れて食い入るように見つめる。志村に避難するよう言われるまでずっとである。ここが冒頭の部分と重なってくる。

 矢口はゴジラの脅威を目の当たりにしても尚、その圧倒的な力に魅了されている。いや、更にそれが強まったと言える。彼はどんどんゴジラに魅入られてしまう。矢口は神の光に照らされてしまったのだ。

 それはある意味カヨコも同様である。彼女はハッキリと「まさに神の化身」だと言う。矢口に比べればその力に恐怖している面は大きいだろうが、彼女もまたゴジラに魅了された一人と言えるだろう。

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ゴジラの光に釘付けとなる矢口。もはや神の光だ。

どうしても自らの手でゴジラを倒したい矢口

 矢口は恐らく自分がゴジラに魅了されていることに気付いていないだろう。ゴジラは日本を脅かす敵であり、倒さなければいけない存在だと考えているはずだ。

 核攻撃ではなく、日本のやり方でゴジラを倒そうと奮闘する彼の姿は正に"正義"の主人公だ。

 しかし、私はそこに彼の異様というか病的とも言えるこだわりを感じてしまう。

 「絶対に自分がゴジラを倒したい

 自分の信じるゴジラを、頭の固い官僚や核にこだわる米軍ではなく、誰よりもゴジラを分かっている自分が"ゴジラを倒すに相応しい"。そのように無意識に思っているようでならない。

激高するのはこだわっている証拠

 大人気水ドンシーンに、この矢口のこだわりが表れていると私は考えている。

 このシーンは、いなくなった者にすがっている志村に対し、もう残ったものでやるしかないと叱る要素とそれでも彼らに頼っていた自分、不安を隠せない自分への憤りで激高する場面だが、同時に「俺ではできないっていうのか!?」という彼の意地を見てしまう。

 「俺が残っているのになんでいなくなった者をアテにするのか?俺ならやれる!俺が一番ゴジラを上手く倒せるんだ!

 まさに愛憎。自分の神を自分の手で倒す。ゴジラに魅了された矢口だが、ゴジラをこのまま生かしておくわけにはいかないのは分かっている。なら、別の誰かに倒されるより自らの手で倒したい。神殺しへの執着を矢口は見せているのだ。

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「まずは君が落ち着け」誰もが真似した伝説の水ドンシーンだ。彼のゴジラ狂いも落ち着いて欲しいものである。

今の状況が楽しい矢口

 矢口が泉に何故政治家になったのか問われると、「政界には敵か味方しかいない。シンプルだ。性に合ってる」と答える。

 この"敵か味方しかいない"というのは正に今の日本の状況だ。敵はゴジラ、味方は自らが率いる巨災対含む日本だ。矢口の性にぴったりと当てはまる。

 矢口にとって"今の日本"は自分の性にあった理想的な世界だ。ゴジラが出現したことで、政界だけでなく日本そのものが敵か味方しかいないシンプルな構造になったのである。泉の問いに対して笑みを浮かべている点からしても、楽しくて仕方ないはずだ。

 彼こそが"ゴジラの出現を誰よりも喜んでいた"のではないかと私が考えるのはここである。

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今の状況こそ、矢口の好むシンプルさそのものだ。

巨災対に喝を入れる矢口

 生き残った巨災対メンバーに「最後までこの国を見捨てずにやろう」と矢口が演説するシーンは、ゴジラ打倒に我々も登場人物も一丸となる熱い場面だ。

 だが、矢口にとっては単にゴジラを打倒すればいいわけではない。自分がゴジラを倒すことが重要なのだ。だから"最後まで"と念を押す。ゴジラを倒すまでは絶対に諦めるなよ、逃げるなよということだ。例え日本が滅びる事になっても。

 ここら辺から矢口のある種のサイコパス的な側面が表れてきていると私は考えている。

赤坂に食ってかかる矢口

 ゴジラに熱核攻撃が行われると決まった後、矢口と赤坂は屋上で論争する。彼らのスタンスの違いが明確に分かる印象的なシーンだ。

 矢口は核攻撃を反対する。当然であろう。日本に三度目の核を落とすわけにはいかないからだ。だが、矢口にとってそれは建前だ。本音は核を落とされると自分がゴジラを倒すことが出来なくなってしまうところにある。彼のゴジラへのこだわりは止まる事を知らない。

ヤシオリ作戦部隊に対して「死んでくれ」と命じる矢口

 ヤシオリ作戦開始が決まり、舞台に対して演説する矢口の場面は正に日本が生きるか死ぬかは全員にかかっているのだと伝える感慨深い場面だ。

 ここで矢口は「生命の保証はできないが実行してほしい」とハッキリと述べる。つまり、「日本のために、ゴジラを倒すために死んでくれ」と言っているのだ。目的のためには手段を選ばない矢口のある種のサイコパスな面がここにあるように思う。

 だが、これは時には非情な決断をしなければならないリーダーとしての素質を矢口が備えているともいえる。国家的な危機に対し、犠牲を強いる決断ができるのは大きな利点だ。

 「国の為に、ゴジラを倒す為にその命を俺に預けてくれ」それを自らの口から表立って言える。責任は全て自分が背負う。次世代の日本を率いる器が彼には確かにあるのだ。

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包み隠さず、はっきりと告げる。ここまで言えるリーダーが果たしてどれくらいいるだろうか。

凍結したゴジラを前に決意表明する矢口

 ヤシオリ作戦により、ゴジラは凍結された。だが、それは一先ずの危機の回避であり、先延ばしにしたに過ぎない。明確にはゴジラを"倒していない"のだ。

 だから、矢口は「事態の終息には程遠い」と口にする。それはこれからの政界での戦い、日本の復興も意味しているだろう。だが、矢口にとってはそれだけではない「まだまだゴジラと戦える」ということも意味している。ゴジラがいる限り、日本は敵と味方しかいないシンプルな世界のままである。矢口にとって理想な世界が続く。そして、自らの神であるゴジラも健在だ。

 「またゴジラが動き出したら今度こそ俺が倒す。次は国のトップとして、総理大臣として」

 彼にとって総理大臣になることは重要ではない。自らが先頭に立ちゴジラを倒すことが重要なのだ。それには総理大臣になることが一番いい。今度は巨災対だけではない。自衛隊も含めて全てを自分で指揮し、神を倒す。そんな決意を彼はあの眼差しに込めている。

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こちらに力強い眼差しを向ける矢口。「次こそは必ず倒す。その時は君も一緒だ。俺に付いてきてくれるか?」そう問いかけているようだ。

 以上が、私が矢口に対して感じていることだ。妄想も多いにあるだろう。だが、矢口にとっての"好きにする"ことは自らの手でゴジラを倒すことであったのは間違いないだろう。

【アナ雪特集#1】『アナと雪の女王2』前作のアンチテーゼを盛り込み昇華させた、続編の傑作!

 

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 今回から私が劇場で124回視た『アナと雪の女王2』について語っていきます。またお付き合いいただけると幸いです。

 まずは前回までの「レリゴー」解説を読んでいただいた方、ありがとうございました。前後編合わせて3万5千字ほどあり、読むのが地獄で本当に申し訳ない…

 

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  それなりに好評をいただいたのですが、書く方も気合を入れ過ぎてかなりしんどかったので、今回から特集という形で記事を小出ししていこうかなぁと。『アナ雪』については書く事いっぱいあるので、題材には困らなそうですし。

 書きたい時に書きたいものを投稿していくので、前回までのようにガッツリとしたものにはならないかもしれませんけど、よろしくお願いします!

 

 

『アナ雪2』は前作へのアンチテーゼで作られている

 私が『アナ雪2』を見て思ったのは、これは前作のアンチテーゼだなと。

 「アンチテーゼ」とは、ある理論・主張を否定するために提出される反対の理論・主張のことです*1

 つまり、前作の否定ってことになるんですが、それだけでは終わらないのがこの『アナ雪』という作品の良さです。否定するだけでなく、それにちゃんと意味を持たせてより昇華させているのです。

 今回はこのアンチテーゼを中心とした説明をしていきます。

とりあえず両親のフォローします!

 前作のアグナルとイドゥナに関しては描写が少なかったのもありますが、あまり好意的な描かれ方はされていなかったと思います。私のレリゴー解説でも結構ボロクソに書きましたが、明らかにエルサの魔法を恐れていました。
 しかし、実の両親が本当にそれでいいのかと考えれば、当然いいわけがないんですね。じゃあ、ちょっとフォローしてあげようというのが、映画が始まってからタイトルが出るまでの一連のシーンと彼らが航海に出た理由の補完でしょう。
魔法に対するアグナルの描写の変化

 映画冒頭は楽しく魔法で遊ぶ幼いエルサとアナのシーンから始まりますが、そこにひょっこり「何してるんだ?」と現れるアグナルとイドゥナ。穏やかな表情からして、魔法で遊ぶことを咎めに来たわけではないのが分かります。

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微笑むアグナル。父親の顔です。

 前作では「もう手に負えない!」と魔法への恐怖心を見せていた両親でしたが、それとは雲泥の差の登場シーンですね。これも前作へのアンチテーゼと言っていいでしょう。

 前作での幼いエルサとアナは、両親に怒られるので隠れて魔法で遊んでいたような印象を抱いてしまうのですが、今作の両親の描写を見ると魔法で遊ぶことに関しては全く問題視していなかったということになります。これも両親の描写の変化です。

 しかし、こう両親の魔法へのスタンスが変化してしまうと、前作でエルサを閉じ込めるような対応をしないように思いますよね。そこは今作のメイン要素となる「魔法の森」で辻褄を合わせてきています。

 アグナルは「魔法の森」での出来事を語りますが、彼は魔法に魅了されたのと同時に死にかけるほどの怖い目にも会っていたことを教えてくれます。この彼の体験から考えると、アグナルは「エルサの魔法」を恐れていたのではなくて、魔法があの時のように牙をむく可能性を恐れていたということになるのでしょう。

 私はレリゴー解説で、エルサに手袋をはめさせてまで魔法を隠そうとしたのは「愛ゆえの恐れ」と述べましたが、アグナルは正に愛するエルサを魔法の牙から守ろうとしたと考えて良さそうです。

 魔法の森が霧に閉ざされたことで王国は安全だという両親の認識は、後に王国の門を閉じたことにも繋がってきそうです。アグナルらは魔法の森事件と同じように、それを閉ざせばエルサの魔法も暴走することなく安全であるはずだと考えたのでしょう。

 アグナルの魔法の森についての語りは、本作のストーリーベースを説明する要素でもありますが、それと同時に前作の補完と両親へのフォローが多く含まれているのではないでしょうか。

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魔法の森の描写はアグナルの補完でもある。
エルサを抱き上げるイドゥナ

 前作では喋るシーンもほとんどなかったイドゥナさんですが、本作では重要キャラクターとして破格の待遇を受けております(良かったですね)。

 そんなイドゥナさんは冒頭シーンでも大きな役割を担っています。子守歌として、本作のキーソングとも言うべき、「All Is Found(魔法の川の子守歌)」を歌います。エルサとアナを寄り添わせているところは、母として二人の子への愛情が非常に表れていると言えるでしょう。

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母としてのイドゥナ

 特にアナが眠った後に甘えるエルサを抱き上げるシーンは前作とは真逆とも言っていいほどの愛に溢れています。

 前作のエルサは魔法の存在ゆえに両親に甘えることすらできなかったような印象で、「Let It Go」の歌詞からしても顔色ばかり窺ってたんじゃないかと感じましたが、決してそんなことはなく、お母さんが大好きな子だったようです。

 イドゥナも同様に、前作では見守るだけだったり、魔法の力に怯えるエルサを抱きしめることができませんでしたが、本作ではしっかりとその腕で抱きしめています。エルサもとても幸せそうです。

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甘えるロリエルサ

 この直後に、あの悲劇*2が起こると思うと結構悲しくなりますけどね…。オープニングのエルサは、両親と過ごした最後の幸せだった夜を思い出していたんでしょう。

 このように冒頭シーンは単なる説明や回想でなく、前作では希薄な印象を受けた両親の愛情を描いていると言えるでしょう。

 悲劇で始まった前作の反転(アンチ)でもあると思います。

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思い出に浸るエルサ。冒頭のシーンは彼女の回想でした。
エルサのためだった航海

 ちょっと後半に飛んじゃいますけど、両親が航海に出た理由もフォローであるといえます。

 前作では2週間後に帰るという台詞などからしても、諸国外遊等の王家としての務めのような印象でした。しかし、実は魔法の源を突き止めるための航海でした。

 後付け設定ではありますが、私は直前のエルサと両親のやり取りからしても魔法の対処等の現状打破の為にどこかに頼りに行ったんじゃないかと解釈していたので、このエルサのための航海だったというのはかなり納得感があり、両親のフォローとしてはいい持っていき方だと思いました。

 城の門を閉じて、エルサの魔法を隠すという対処しかできなかった両親が実は我が子のために命を懸けて旅をしていたというのは、前作への両親のアンチテーゼと同時に昇華させているといえるでしょう。

 特にアグナルに「エルサのために…」と言わせたのは大きいでしょう。前作ではエルサの魔法を恐れ、下手するとエルサそのものを恐れていたと見られてもおかしくないアグナルがしっかりと父親としての愛があったと分かる台詞ですからね。

 まあ、いくら愛があったとしても前作の対応は間違ってることに変わりありませんが。しっかり、反省していただきたいところです。でも、思わせぶりなことを言うだけで何もしてくれない上に反省した様子も見えないパビーに比べれば、身命を賭してまでエルサを救おうとしただけ遥にマシです。

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エルサのためだった航海。ここで終わるのはさぞや無念だったことでしょう。

 両親に関してはこんなところでしょうか。ぶっちゃけ、本作はこの両親の描写に限らず、後付け設定まみれなので違和感を覚える部分が結構あるんですよね…。

 しかし、今回はそれには目を瞑り「忖度エンジン*3」をフルバーストさせて解説していきます。

変わるのは怖い、でも変わらなきゃいけない

 アンチテーゼというのは作品や続編を作る上での肝ではあるのですが、同時に今までとは違うことをやるわけであり、特に続編ではその作品の世界が好きなファンの反感を買いやすいという要素があります。

 『アナ雪2』も決して例外ではなく、下手な事をすると世界中から大批判を食らってしまいかねない…。だからといって、前回と同じ事をしても続編の意味が無い。

 結果的に、2は世界観やキャラクターをなんとか壊さずにアンチテーゼを取り入れることに成功したと言ってよいですが、それでも好きな作品が変わってしまうのはなんとなく嫌だったり、怖かったりしますよね。

 じゃあ、どうするか…っていう悩みを解決させたのが、ほぼ登場キャラクター全員で歌う「Some Thing Never Change(ずっとかわらないもの)」です。

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この曲を冒頭に持ってきたのは意味があるはずです。

キャラクターと観客の心をひとつに

 「Some Thing Never Change(ずっとかわらないもの)」は、ざっくり言えば「誰しもが成長して変化していく、でもそれってちょっと不安だし怖いよね。だけど、大丈夫。ずっと変わらないものはあるよ」って皆で歌う曲なわけですね(現状から目を晒すみたいな面もあるんですけど、そこは今回語りません)。

 これは要するに、続編を見る時の感情と非常によく似てるんですね。前作は一応ハッピーエンドで終わって、この幸せがずっと続くのだと思わせるものでした。スピンオフ2作品もその延長線上にあるもので、大きな変化は起きません。

 しかし、続編ともなれば当然変わってきますし、もしかしたら前回のハッピーエンドが覆ってしまうような結末が待っているかもしれない。そんな不安がどうしてもあります。

 「Some Thing Never Change」という曲は、変化を感じつつも「この幸せがずっと続きますように」という願いが込められている要素がありますから、前作の幸せが続いて欲しいという観客の想いがシンクロしているのではないかと思うのです。

 それでもやっぱり成長しないといけないよね、変わらないとダメだよねって我々も思っているわけで、じゃあそれをキャラクターに歌わせることでファンと心をひとつにしましょうと。共に変化に立ち向かっていこう、成長していきましょうというのがこの曲であると思います。オラフがカメラ目線になって第四の壁を越えてくるのも、それ故でしょう。

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前作から6年「お前ももう大人になったやろ?」とでも言いたげな顔

 この曲が冒頭にある点からしても、これから向かえる大きな変化と結末への準備をキャラクターと我々にさせていると考えることができます。キャラクターと感情を共有することで、変化を受け入れやすくなりますからね。エルサやアナも変化への恐怖があったのにそれを乗り越え、変化を受け入れたことを我々も共有しているわけなので、より彼女達の選択を応援できるというわけです。

 反感を買いやすいアンチテーゼを描くにあたって、実に上手い事やったなと思いましたね。それを喜んで見てしまう自分が悔しい…!

アンチ「Let It Go」な「Into the Unknown」

 前作の明確なアンチテーゼといったら、本作の代表曲である「Into the Unknown」です。これは完全に「Let It Go」とは真逆の曲で、正に『アナ雪2』が前作のアンチテーゼであることを示していると思います。

 その理由をここから解説していきますが、前回のレリゴー記事みたいに歌詞から描写まで全てやるとまた膨大な文字数になっちゃうので、ざっくりとしたものにします(いつか詳細にやりたいですけどね)。

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アンチ「Let It Go」な「Into the Unknown」

前回、扉をバーンと閉めちゃったエルサが今回はバーンと開く

 前作「Let It Go」との最大の違いといえば、扉の描写でしょうね。

 私のレリゴーに関してのスタンスはブログを読んでいただきたいですが、一言で言えば「ネガティブ」です。それは「The cold never bothered me anyway(どうせ寒さなんて平気なんだから)」という言葉と共に背を向けて扉をバーンと閉めてしまうことからも分かりますが、とにかく後ろ向きな曲です。何せ「ずっとここに閉じこもって暮らすんだ」って言ってるわけですからね(オラフが一人芝居で茶化してますよね)。

 しかし、今回の「Into the Unknown」では、なんとあの一人でいたいとか外に出たくないとネガティブなことばかり言っていたエルサが「未知の世界に出たい!」とか言い出すんですよ!そう「ポジティブ」なのです。

 前回は世の中に対して背を向けて「ちっとも寒くない」とか強がりを言って扉をバーンと閉めてしまいましたが、今回は過去や今の幸せなはずの生活に背を向けてバーンと扉を開き「Into the unknown!(未知の世界へ!)」と3回も繰り返すんですね。バルコニーで高らかに声を張り上げて(近所迷惑じゃないんですかね?)。

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背後に過去と現在の絵画がある点も注目。思い出や今の幸せに背を向けてでも未知の世界に出たいというエルサの心情を表しているのと同時に、まだ後ろ髪を引かれていることも示しているのでしょう。

 引きこもりのエルサが未知の世界の旅に出たいだなんて、本当に成長しましたよね。私は嬉しいよ(でも、引き籠ってたり怯えてるエルサもかわいいと思ってしまう…ジレンマ)。

 そういえば、前作で「扉を開いて」って歌ってた王子と王女がいましたよね。あれのやり直しでもあるのかな?

下にどんどん降りていくエルサ

 前作の「Let It Go」は曲のネガティブさに反して、山をどんどん登って行くんですが、「Into the Unknown」ではどんどん城の階段を下りていくんですね。

 これも前作とは真逆の表現ですね。

 下降表現は容易さや不可避性の暗示に使われることがありますが、物語の展開的に容易さを表現しているわけではないでしょうね。曲の内容的にも不可避性、一度動き出したら止まらない、自分の秘密を知りたくてたまらないということではないかと思います。

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「Let It Go」と違って、今回はどんどん降りていきます。

 過去を捨てたり女王であることを捨てたりして、とにかく開き直っていたレリゴーと違って、しっかり自分に向き合いたいというエルサの前向きな心が分かりますね。

 他に自分の心の声という深層心理に迫るという要素もありそうです。ここら辺の考察はまたいずれ…

 エルサの表情の変化

 「Into the Unknown」では表情の変化にも注目です。

 「Let It Go」では、エルサはドヤったり笑顔のシーンはあるんですが、それらは単に開き直りだったり、辛さを隠すものだったりしたわけですが、今回はそれが大きく変わります。

 「Into the Unknown」でも「声を聴く気はない」などと強がりを言ってはいますけど、終始強がりだった「Let It Go」に比べれば最終的に自分の正直な感情を吐露しますね。そして、何よりも後半の喜びに満ちた表情の数々がエルサの心を素直に表しています

 辛い表情や強がりではないその表情が、とても愛おしいです。

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喜びに打ち震える表情がとてもいいです。好き。

【進化「Let It Go」】な「Show Yourself」

 「アナ雪2」では恐らく一番の見せ場であろう「Show Yourself(みせて、あなたを)」はある意味究極の前作へのアンチテーゼであり、進化であると思います。

 言ってしまえば、この曲は「Let It Go」の完全なやり直しであり、その要素のほとんどが真逆です。

自分だけでなく「お前も見せろ」と言い出すエルサ

 前作からのエルサの心情の変化は「Into the Unknown」の項目で述べた通りですけど、ここではさらにその先へと向かいます。

 「私の準備はできたわ。さあ、あなたも自分を見せて」って言うんですね(なに?誘ってるの?)。

 「Let It Go」では自分を解放したように見えて、実はさらに閉じ籠ってしまい、開き直った結果、アレンデールをものすごい雪まみれにしてしまいました。しかし、今回は違います。開き直りではありません。エルサの言葉は本音となります。自分の悩みを素直に打ち明け、本当はどうしたいのかを叫ぶのです。真の意味での心の解放であり、正に「Let It Go」の進化といえるでしょう。

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「あなたの姿を見せて」私なら喜んで現れよう。
扉をバンバン開けていくエルサ

 レリゴーでは「背を向けて扉を閉めてしまうの」という言葉を繰り返し言ってましたが、今回は「私も扉を開いたんだから、お前も開けやオラァ!」とドヤ顔しながらバンバン扉を開いていきます。主に物理で。

 「絶対に進ませんぞ」と言わんばかりのアートハランの障害をアクションゲームみたいにクリアしていくという。どこであんな訓練したんですかね?それもアートハランにあるんでしょうか。教えてそれを。

 これも完全に前作との真逆、アンチテーゼですね。

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もう自信たっぷり。どこで修業したのか。アレンデールには精神と時の部屋でもあるんですかね?
ある種のやり直し。既視感ある描写の数々

 「Show Yourself」には明らかに「Lte It Go」を意識した描写が存在します。全部上げていくとキリがないのですが、最も既視感のある部分は「One moment more!(もうこれ以上!)」のシーンでしょうか

 ここは「Let It Go」での、エルサが暗黒面に足を踏み入れた瞬間の「I'm free!(私は自由よ!)」と類似する場面と言っていいでしょう。

 エルサはエレメントの中心に足を乗せますが、まさにレリゴーでの階段に足をかける場面と同一です。そして、この後エルサが"別の存在"へと変わる点においても同じです。異なるのは、前作ではネガティブな方向であったのに対し、本作ではポジティブな方向になっているという点でしょう。 

 新しい自分、本当の自分になるのです。

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今回は魔女ではなく全く別の存在に変わります。第5精霊になるというわけですが、むしろその上、神になったようにも見えます。
深層心理にたどり着くエルサ

 「Into the Unknown」の時と同じく、エルサはどんどん下に降りていきます。今度は階段では終わらず、地下深くへと進んでいきます。

 エルサを呼ぶ声が彼女自身の声だとするならば、まさに深層心理へと迫る、真実に迫っていると言えるでしょう。

 声の主を知りたい、自分の本当の気持ちを知りたい、求めだしたら止まらない、そんなエルサの心が底へとどんどん潜っていく描写に表れていると言えるでしょう。

 しかし、これは同時にどんどん闇へと近づいていく、呪われた真実へと近づいていくことであり、非常に危険でもあります。自信に満ち溢れているエルサですが、それは同時に慢心も生み、彼女自身を滅ぼしてしまいます。

 前作ではグレて魔女になった程度で終わりましたが、今回は命を失うまで突き進んでしまったわけですね。レリゴーのその先を描いたと言えるかもしれません。

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慢心したが故に「潜り過ぎると溺れてしまうわよ」という警告を無視したエルサは凍り付いてしまう。自分を犠牲にしたからこそ、真実にたどり着いた面もあるのですが。

 これらが「Show Yourself」は単なるアンチテーゼでは終わらない、進化レリゴーたる所以です。

  言ってしまえば「Into the Unknown」は完全な前座であり、そして対になっていると言えます。2つの曲が合わさることで、完全なものになるわけですね。

 余談ですが、アカデミー賞には「Into the Unknown」ではなく「Show Yourself」を出すべきだったんじゃないかと思います。世間的な知名度は前者でしょうけど、曲の完成度からしたら間違いなく後者ですし、今の時流にも合っているので十分狙えたでしょう。まあ、「アナ雪2」そのものもアカデミー長編アニメ賞ではノミネートすらされなかったので、ファンとしては残念ですがこれには納得感はあります。その辺はいずれ語ろうと思います。

記憶の間(雪像の間)こそアンチテーゼ

 エルサが精霊になった直後に過去の記憶が雪像として再現された空間が広がりますが、ここがまさしく本作が前作のアンチテーゼであると象徴しているシーンではないでしょうか。

 それは、エルサが自分がレリゴーしていた時の姿を見た反応にあります。あからさまに嫌そうというか、恥ずかしさで悶絶しそうな様子。そう、まさに自分の黒歴史ノートを見てしまった人そのもの。エルサにとってレリゴーは記憶の墓場に持っていきたい恥ずかしい過去なのです。それを無理やり見せつけられるという。

 つまり、「Let It Go」を明確に否定するシーンなのですが、何故こんな描写を持ってきたのかといえば、それはエルサがちゃんと成長できていることを示すためです。言い換えれば、アートハランに成長を試されているんです(単なる嫌がられかもしれませんが)。

 もし、ここでエルサがレリゴーの自分を誇らしげに見てしまったら、まるで成長していないことになります。前作でエルサはレリゴーの結果、アレンデールに嵐が吹き荒れる呪いをかけてしまいました。これは武勇伝でもなんでも忌まわしき過去です。つまり、「あの時のことをちゃんと反省してる?」「それに伴って成長できてる?」とエルサに問いかけているんです。エルサの反応次第では、過去の真相にたどり着けなったかもしれません。

 これは、前作から6年経った我々にも言えることだと思います。「Some Thing Never Change」での一緒に成長していきましょうというメッセージと地続きであるともいえるでしょう。

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「うわっ……」と目を背けるエルサ。かわいい。その後の「こんな事もあったわね」といった感じの表情も良いです。自分の中でちゃんと清算もできてる証拠ですね。

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エルサのレリゴーに対してのスタンスは、ジェスチャーゲームでオラフに自分の真似をされた時の反応でも表れていますね。「ふふっ……あの時は青かったわ」みたいな。

「今できること」をするアナ

 前作のアナといえば、明るいのはいいんだけど、あまり人の気持ちを考えなかったり、「キスして」って他力本願なところがあったりと結構勝手な部分の目立つキャラでした。

 それが今回は3年も経って落ち着いたのか、あるいは姉が危なっかしいので大人に成らざるを得なかったのか不明ですが、作中で一番まともな感じがしますね。エルサが好き過ぎてたまに周りが見えてない時ありますけども(僕と同じじゃないか!)。

 そんなアナも前作のアンチテーゼ的な要素を多く含んでいます。

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クリストフの妄想でも大活躍するアナ。可愛すぎる…

「もうあなたを離さない」手を握り続けるアナ

 前作のアナはのっけからの「For The First Time in Forever(生まれてはじめて)」で分かるように、今の生活が嫌で外に出たい、素敵な誰かに会いたいって思いが強かったですよね。

 しかし今回は「Some Thing Never Change(ずっとかわらないもの)」の一節にある「I'm holdin' on tight to you(心はひとつ※歌詞カードの翻訳は「あなたの手をしっかりと握っている」となってます。この歌詞は直訳すると「あなたを抱きしめている」になるので、歌詞カードの意味の方が近いと思います。)」からしても、今の生活がとても幸せでずっと続いて欲しいという気持ちが強いですよね。ここからして、本作のアナの心情は前作と真逆であるといえるでしょう。「I'm holdin' on tight to you…」と最後にアナが一人で改めて歌う点からしてもそれが窺えます。

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願いをより込めるように、魔法をかけ直すように一人歌うアナ。
エルサを掴んで離さないアナ

 今回のアナはエルサの手をギュッと握りしめて離さない描写が多いです。「ずっと離れないって約束して」と念を押していたり、エルサが一人で危険な事をした時は怒りを露わにしています。過去に自分がエルサに寄り添えなかった事で、彼女も王国も大変な状況になりましたからね。自分も被害者なんですが、アナは何よりもエルサを失うことを恐れているように見えます。

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「いいか?絶対に離すなよ!?」これはフラグですね。

 この"消失の恐怖"が今回アナが立ち向かわなければならない障害であり、それを乗り越えた先が「The Next Right Thing(わたしにできること)であるわけです。この辺はいずれ語るとしまして、アナは前作とは違って現状維持をとにかく望んでいるのがわかります。だって、せっかく大好きなお姉ちゃんと仲良く過ごせるようになったんですからね。気持ちは痛いほど分かりますわ……

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エルサが約束破った時はめちゃくちゃ怒りますしね。激おこぷんぷん丸です(古い?
エルサの気持ちをこれでもかと汲み取ろうとするアナ

 前作のアナは自分の考えを押し付けるばかりで、エルサの気持ちをほとんど汲み取ろうとしませんでした。そのせいで更に魔法の呪いを受けてしまう始末…。アレはエルサも悪いんですけどね…。

 しかし、今回のアナは違います!

 ジェスチャーゲームを退出したエルサを気遣いに行ったり、「エルサは立派だよ」ってヨイショしたり(これは前作でもやってますけども。「エルサならできるよ」って)、隠し事はせずに伝えて欲しいと言ったり、例のポーズ*4で悲しみに打ちひしがれているエルサに「エルサは尊い贈り物だよ」と最上級の愛の告白したりと、フォローしまくっています。前作と同一人物とは思えんくらいに他人を尊重しようとしていますな

 さすがは最終的に真実の愛は「愛すること」だと気付いたアナであるといえるでしょう。しかし、これはエルサを失うことの恐れからも来ており、とにかく姉を側に置いておきたい、手を離したくない「二人は一緒にいるのが一番だ」という独善的な感情から来ているようにも思います。ここら辺は前作の独りよがりな部分から変わっていないようにも見えますね。

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とにかくエルサをフォローするアナ。「エルサには私が必要だ」とエルサに思わせたいのだろうか。

他力本願だったアナが自分一人の力で闘う

 前作ではエルサに頼り、ハンスに頼り、クリストフに頼りととにかく他力本願だったアナ。しかし、今回は頼れる人のいない完全に一人な状態に叩き落されます。それがどれだけアナを絶望させたか察するに余りあります。だって、最愛のエルサもオラフもクリストフももう誰もいないんですから(クリストフは死んでないけどね!*5)。

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アナの勇姿「The Next Right Thing」を刮目せよ!
幸せだった日常はもう戻らない…けれど!

 エルサを失った悲しみで一晩中泣いたアナ。あれだけ守ろうとしたエルサとの日々がもう失われてしまったんですからね。幸せだった日々も、自分にとって道を照らしてくれる姉もいなくなり、もう無理だと頑張ることをやめようとします。

 また前回のように別の誰かにすがるのか。今回のアナはそうではないです。

 自分は魔法も使えないし非力だけれど、何かできることがあるはずだ。アナはそう自分に言い聞かせながら崖を登り始めます。この登るという表現はまさに困難に立ち向かっているということでもあります。前作では崖を登る事ができなかったアナが今回は少しずつ登って行くんですね。頑張れアナ!僕達がついているよ!

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この崖かなり高くないすか?落ちたら死ぬ高さを命綱無しで…ランボーみたいだ。いや、むしろトム・クルーズ
何か一つでも自分にできることを

 アナはエルサのように強力な魔法の力もないし、オラフのように分裂できる便利な身体もなく、クリストフのように森でMVすることもできません。

 そんな無力な自分だけど、何か一つでも自分にできることをして、そしてまたできることをしていく、一つずつ一歩ずつ、それなら自分にも可能だとアナは気付いたんですね。前作では他人任せだったアナですけど、今回は自分で乗り越えていこうとするのは大きな成長といえるでしょう。

未来の為に「今できること」

 洞窟から抜け出たアナは「When it's clear that everything will never be the same again?(全てがもう二度と同じにはならないっていうの?)」と大きく叫びます。

 「またあの日常が戻ってくることはある?いや、それはもうないのよ」という自問自答しているんでしょう。アナは守ろうとしていたものを捨てる決意をしたんです。そして、「今できること」をしようとするわけです。過去ではなくもう未来を見つめるしかないと。

 それが「To hear that voice(あの声を聴こう)」という部分に現れています。「あの声」とはエルサが凍る直前にアナに全てを託した声なのはもちろん、実はアナにもずっとアートハランからの声が聴こえていたということでもあるんですよ。それを彼女は無視していたんです。エルサとの日常の方が大事だったから。でも、その声をようやく彼女は受け入れたのです。ここは前作というよりも、本作のアナへのアンチテーゼといえますね。

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迷いと決意が入り混じりながら、それでももうやるべきことは見えている。そんな表情をしています。
他人にすがるのではなく協力を

 前作では自分のために他人にすがるばかりだったアナですが、本作は自分のためではなく、未来のために行動します。まさに前作の終盤で真実の愛に気付き、凍り付きながらエルサを救ったアナの姿です。アレンデールだけではなく、魔法の森を解放するために自分を危険に晒すわけです。ここは、前作と地続きなアップデートであると言えるでしょう。

  「今できること」の最終目標はダムをぶっ壊すことですが、アナ自身では到底無理な話です。なので、アナは協力を求めるわけですね。アースジャイアントには協力ってよりかは挑発した感じですが。

 マティアス達には説得することで道を切り開くわけですが、これは前作のアナでは無理だったでしょうね。なにせ、姉を説得することにすら失敗してましたから。ここは前作のアンチであると共に純粋なアナの成長と考えて良さそうです。

エルサの魔法は攻から守に

 エルサは前作もそうですが魔法を攻撃的に使っている事がほとんどでした。しかし、今回はアレンデールを洪水から救うという完全に守りとして魔法を使います。まさに守護者たるエルサの魔法であるといえます。彼女の魔法は攻撃だけではなく、何かを守るためにもなるということですね。

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こう大々的に魔法を守りに使ったのは初では。

別れる姉妹

 前作ではエルサもアレンデールに戻り、そのまま女王として暮らすことになりました。これは成長して元の場所に戻るという作劇の王道をなぞった展開であり、締まりとしては最適解です。

 しかし、同時に疑問も残って、エルサは国民に受け入れて貰えたけれど彼女自身はどうなのか。そもそも女王に向いてないんじゃないのか

 私はレリゴー解説で、エルサは魔女としても女王としても優しすぎたと述べましたが、まさにエルサはその優しさのあまり、時には非情にならなければならない女王という立場に相応しくないのではないかと思ったのです。まあ、向いていないながら一生懸命に女王として責務を果たそうとするエルサは魅力的であり、自分は好きですので、そんな女王がいてもいいと思うんですけどね。

 本作はそんなエルサの方向性を改めて問う内容であるわけですが、結果的にエルサは森で、アナはアレンデールで暮らす事になりました(もののけ姫ですね、分かります。)。

 前作の元の場所に戻るという結末とは真逆、まさにアンチテーゼといえますが、それで結末を決めたというよりかは、エルサとアナの長所を生かした方向性を考えたらこうなったというところでしょう。最近のハリウッドというかディズニーにありがちなパターンではあるので、ちょっと予想できましたが。

 完全な別離ではなく、時には会ったりしている余地を残している辺りまだ良心的でしょうか。別の場所にはいるけれど、「懸け橋」として姉妹の心は常に一緒だと考えることもできます。それでも寂しいものは寂しいですけどね。

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「一緒に……」という着地点は良かったです。

本当の意味でのエルサの解放

 本作のラストは、エルサの心からの笑顔で終わります。本当の意味で彼女は居場所を見つけて、心を解放できたということでしょう。

 周りに受け入れて貰うのではなく、自分を尊重しようというのは今の時代らしい結末です。

 ただ同時に、今回は完全に女王としての立場を放棄してしまったわけで、前作の「もう女王なんてどうでもいい」と王冠を投げ捨てたのと結局は同じなのではないかとも思ってしまうんですね。責任放棄はダメですよっていうのが前作の要素でもあったわけですが、今回はそれをやってしまっている感じがします。これも前作のアンチであるといえるのですが、女王の仕事はめっちゃ大変なはずなのに、それをアナに全部押し付けてしまったようにも見えてしまう。自分の気持ちばかり優先して、責任を放棄してしてしまっていいのか、果たしてそれは本当に最適解だったのか、エルサが女王に向いてないなら姉妹二人で協力してもっと良い国にしていこうっていう結末でも良かったようにも思います。

 しかし、それだと「懸け橋」にならないので、難しいところではありますね。エルサは王国が自分の居場所ではないと思っていましたし。

 まあ、エルサが幸せならOKです!今は彼女の門出を祝福しましょう。

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エルサ良かったね!落ち着いたら結婚しようね!

 以上、前作のアンチテーゼ的な側面で『アナ雪2』を語ってみました。かなり忖度エンジンを発動させたので、本音は実は違うみたいな部分もありますが、その辺は追々語るとして…。

 全然ザックリじゃなかったんですが、これでもまだ語っていない部分も多いので今後の特集でいろいろやっていけたらと思いますのでよろしくお願いします。ご意見ご感想もお待ちしております。

*1:Wikipedia引用

*2:前作冒頭のエルサの魔法がアナに直撃する事故

*3:ラッパーの宇多丸さんがパーソナリティーを務める「アフター6ジャンクション」の「スターウォーズEP9特集」で映画ライターである高橋ヨシキさんが繰り返し言い放った造語。明らかにおかしい設定や描写を否定するのではなく、「いや、きっとこういうことに違いない」とかなりの擁護(忖度)をして解釈し受け入れる行動、考え方の事。詳しくはそのラジオを聴くと早い。

*4:エルサが辛いときによくする、身体を両腕で包み込んで自分を抱きしめるようにするポーズ。レリゴーの解説記事で詳しく触れています。

*5:てか、あの時のアナはクリストフのこと完全に忘れてない?「あ、まだクリストフおったわ」って気付いても良さそうなんに。それだけエルサの死がショックだったんでしょうけども。忘れられちゃうクリストフ、かわいそかわいそなのです。

【解説!『アナと雪の女王』】2つの『Let It Go』とその真実(後編)

 前編で『Let It Go』の解説が一通り終わりましたので、ここからはそれ以降のストーリーをエルサを中心に掘り下げていき、もう一つの『Let It Go」に迫っていきます。

 前編を読まれていることを前提で語っていきますので、長くて申し訳ないんですが、なるべく前編を読んでから後編を読んでいただくと分かりやすいかなと思いますのでよろしくお願いします!

 

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 完全なる絶望へと誘われるエルサ

 魔女になる決意を固めたエルサ。扉を閉めた後は少し気分も落ち着き、「ここにずっと一人でいよう。そうすれば誰も傷つけないから」と考えていることでしょう。

 しかし、そうはさせじと言わんばかりに、エルサを完全に闇へ堕とそうとする試練が次々と待ち受けます。

 それは大きく分けて三段階あり、エルサを真の絶望へと導いていくのです。

説得に来たアナを拒絶してしまう

 アナは氷の宮殿に引き籠ってるエルサを発見し、一緒に問題を解決しようと説得を試みます。しかし、そんなアナをエルサは拒絶してしまい、不可抗力とはいえ更なる呪いをかけてしまいます。

 これがエルサを真の絶望へと堕とす第一段階目です。

 エルサがアナを拒絶してまで遠ざけたい理由は前編の『Let It Go』で解説した通りですが、そんなことは知りもしないアナは必死にエルサに歩みよろうとします。

 アナからしてみれば良かれと思っての行動なのですが、エルサからしてみれば何故アナは自分の気持ちを酌んでくれないのかと憤りが募るばかりなんですよね。

 それに、今エルサは「レリゴー」でグレてますからね。家出して一人で好き勝手しようって時に、真面目な妹がやってきて「ほら、姉さん帰るよ」って連れ戻そうとしたら、そりゃあ反発もしたくなります。「うるさいわね! 絶対に帰らないから!」って。駄目だこの姉…はやく結婚しないと…

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アナが「私が見えないのか?直ぐ側にいるのに」と言ってるのに聞いちゃいねぇですこの人

 おまけに「レリゴー」でちょっと自信が付いたように感じていたのに、氷には相変わらず恐怖に怯える自分の姿が映っているわけで…。しかも、あれだけ「嵐よ吹き荒れるがいい」と言っていたのに、本当にアレンデールで嵐が吹き荒れてると知ったら、自分が引き籠った理由を思い出してめちゃくちゃ後悔する始末。もうエルサの心は余裕がなくなってパンク寸前です。

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「レリゴー」する前と変わらない怯えた自分がいる

 それに、今更一緒に解決しようと言われたって無理に決まってるじゃないかと。「今まで一度だってそうしてこなかったし、あなたは何もしてくれなかったわよね」って。

 こういうと語弊があるかもですが、エルサはアナに対して"不信感"があるんですよ。

 それは何故かっていうと、「Do You Want to Build a Snowman?(雪だるまつくろう)」に描写されているんではないかと私は見ています。

 ちょっとこのシーンを見て欲しいです。両親が旅立つ直前の恐らく15歳になったアナがエルサの部屋の前を通るシーンです。

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アナはエルサの部屋を気にはするものの、何もせずに立ち去ってしまいます。

 ここずっと違和感があったんですよ。単にドアを叩かなかっただけではないのではと。

 ちょっと私の妄想も含めて考察しますと、恐らくアナはある時からエルサの部屋のドアを叩かなくなっちゃったんですね。離されてしばらくは「雪だるまつくろう」ってドアを叩いてたんでしょうけど、何度やってもエルサは出てこないから次第にアナも諦めて止めてしまったんじゃないかと。

 久々にドアを叩いたのは両親が死んでしまった時なのではないでしょうか。下手すると何年かぶりに。*1

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もっと早くに会おうとしていれば…

 「Do You Want to Build a Snowman?」という曲は、姉妹の決定的なすれ違いを描いた悲しい曲なのです。

 加えて「For The First Time in Forever(生まれてはじめて)」という曲ですが、こうしてすれ違った結果、距離ができてしまっている姉妹の歌でもあるんじゃないかと思うんですね。

 アナは皆に会える、素敵な誰かに会えるかもって歌いますけど、何故かエルサに会いたいとは言わないんですよ。エルサに期待するのを止めてしまったアナは別の誰かの愛を求めてしまってるんですね。

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エルサの戴冠式なのに「姉さんに会える」とは一言も言いません。

 心の奥ではエルサに会いたいという想いはあるんでしょうけど、面と向かって会うのはちょっと怖かったんだろうなと。それはエルサも同じで、アナを守るために引き籠ったのに、いつの間に自分を守る事の方に心が向いてしまっていました。そこら辺は戴冠式でのぎくしゃくした感じにも表れてますよね。お互いになんか距離があるという。

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お互いに相手の出方を窺う感じが色々とリアルですね…

 だからエルサはアナを拒んでしまうわけですね。ずっとろくに会話してこなかったのに、あなたに私の何がわかるのか。ちょっとドアを叩いていただけで、なぜ私が閉じ籠ったのか分かろうともしない。何も力の無いあなたが一緒に問題を解決しようなんて無理を言わないで欲しいと。

 正直、かなり独善的ですよね。「レリゴー」後のエルサなので、今までの鬱憤が溢れ出てしまっており、仕方ない面もあるんですが……。アナと対話する気がないという。

 ただ、これはアナにも言えることでもあるんです。

 「For The First Time in Forever(Reprise)」でアナはエルサなら問題を解決できる、一緒にやれば大丈夫だと言うんですが、自分の考えを押し付けるばかりでエルサの話を聞こうとして無いんですね。エルサは「危険だから帰って欲しい」と訴えるんですが、アナはその理由も聞かずに「一緒に行こう」と言うばかり。お互いの主張は平行線のまま、できてしまった溝が全く埋まらずに、最終的にエルサの「できないものはできない!」という強い拒絶と共に決裂し、エルサの凍った心がアナの心も蝕んでしまうという最悪の展開になります。あんなにアナを守ろうとしていたのに、エルサは内なる怒りと恐れに支配されて、逆にアナの命を危険に陥れてしまうとは悲劇としかいいようがありません。すれ違う心は溢れる涙に濡れ……

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エルサの凍った心がアナを貫く。また過去と同じ悲劇を起こしてしまうのです。

 なんでこうなってしまったのかというと、二人共受け身なんですよ。「自分のことを分かって欲しい」っていう。もっと言えば「愛してくれよ」なんですね。閉ざされた愛に向かい、叫び続けているんです。

 ここが実は『アナ雪』の「真実の愛」というテーマに繋がる重要な部分だったりするんですけど、それは最後の方でまとめて説明することにします。

本当の魔女に成りかけてしまう

 アナを追い返した後、エルサは渦巻く感情を抑え込もうと自分に言い聞かせ続けます。

 しかし、不可抗力とはいえ、アナをまた傷つけてしまったことで、心は落ち着きを取り戻すことはないく、氷の結晶がどんどん鋭くなっていき「どうでもいい。嵐よ吹き荒れろ」と開き直ってしまったエルサの想いに乗じて、魔法が暴走を始めてしまっています。

  このシーンの色彩表現からもエルサの心理描写が見て取れます。

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強い色彩で危険な雰囲気を醸し出しています。

 エルサの背後は黒と赤、手前は深い青で構成されています。それぞれの色の意味合いとしては以下の意味が考えられます。

  • 黒:絶望・孤独・悪
  • 赤:危険・争い・恐れ
  • 青:不安・悲しみ・冷酷

  負の感情に飲み込まれていっている描写であり、氷の棘がエルサの方に向いていることからも、パビーの予言の通りに恐れが敵となっているんです。

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パビーの見せた幻影とも同じ色なので、エルサに危機が迫っていることも教えているのでしょう。
ハンスの襲撃

 エルサは等々ハンス率いる討伐隊に襲撃されます。

 ここでエルサは自分の身を守るためではあっても、感情の赴くままに行動してしまい、人を殺しかけてしまいます。

 このシーンでは、背景がほぼ黄色一色になっているのが印象深いですね。黄色は本来なら明るいイメージの色ですが、ここではそうではないことは明白なので別の要素があると考えるべきでしょう。

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まるで警告を表すかのように黄色一色です。

 黄色は「緊張」や「転機」を表す色でもあるそうなので、いわゆるターニングポイントと見ることができそうです。

 つまり、エルサは本当に魔女になってしまうのか、それともまだ人間でいるのかの瀬戸際ということですね。

 何故なら、エルサはここでは明確な殺意をもって人に攻撃をしているからです。

 完全に正当防衛なんですけど、人を直接殺めてしまうのは最後の一線を越えることになりますから、ここでもし兵士の誰かを殺していたらエルサは二度と元の彼女に戻ることは無かったでしょう。

 これがエルサを真の絶望へと堕とす第二段階目です。人を殺そうとしてしまった自分へ恐怖するのです。

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エルサは感情に身を任せてしまい、人を殺めかける。

 エルサを止めたのがハンスというのがなんとも皮肉なところですね。自分をよく見せるため、そしてエルサを利用するためにもここで亡き者にしてしまうのは得策ではないと思ったんでしょうが、結果的に「化け物になってはいけない」という言葉が彼女を救うことになりました。ここでの言葉は、果たして計算だけで出たものなのでしょうか。とっくに化け物になっている自分自身にも言っているような気がするんです。彼の中にまだ僅かに残っている善のハンスが言わせのではと……

 私はハンスに関しては元々は善人だったが、兄たちに愛して貰えなかった故に暗黒面に堕ちた哀しき人であり、もし真実の愛を知ることができなかったら……というエルサやアナの映し鏡的な存在だと解釈していますが、そこら辺を語るとまた長くなっちゃうのでまたの機会にします。

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ハンスは多くの謎を秘めている

深い絶望へと堕ちる

 ギリギリのところで魔女になることを回避したエルサですが、囚われの身となってしまいます。今度は自分の部屋ではなく、完全な牢獄であり、禍々しい手枷まではめられています。

 手袋を捨て、マントを捨て、王冠まで捨てて女王であることを放棄したのに、アレンデール王国はエルサを自由になんてしてくれないのです。

 そして、エルサはこの時初めて自分の犯した過ちをこの目で見ることになります。

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アレンデールの惨状を目にするエルサ

 「なんてことをしたのか」と自分を責めたことでしょう。しかし、自分では元に戻す方法がわからない。ここでようやくアナと協力することを考えますが、アナはここにはいない。もうエルサが思いつくことは、少しでもアレンデールから離れれば魔法の効果が薄まるんじゃないかということくらいですが、そんなの無駄だと言わんばかりに嵐は強くなるばかりです。「嵐よ吹き荒れろ」とエルサが呪いをかけたが故に……。

逃げることすら許されないエルサ

 エルサは魔法で手枷を壊して脱出しますが、そこにハンスが迫ります。

 この時点では、恐らくハンスの本性には気付いていないエルサは「アナをお願い」と妹を託します。自分の魔法の呪いをハンスなら何とかしてくれると思ったのでしょう。

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「妹をお願い」ここでもなお、優しさを失っていませんでした。

 しかし、エルサは衝撃の事実を知らされます。「アナは死んだ」と…しかも、自分の魔法によって。

 実際にはアナはまだ死んでないのですが、エルサは紛れもない事実だと受け取ったはずです。何故なら、過去に自分の魔法でアナが危機に陥った上に、今のアレンデールの現状、そして再びアナに呪いをかけてしまったわけですから。

 アナの死を告げられたエルサは大きく泣き崩れます。アナを守るためにこれまで必死に孤独に耐えて生きてきたのに、それが全て無駄になったわけですからね。生きる糧を失ったエルサの心は完全に折れてしまいました。ここでエルサはついに深い絶望へと堕とされるのです。

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エルサはついに心が折れてしまう

 その瞬間、あれだけ激しく吹き荒れていた嵐がピタッと止み、氷の結晶が宙を漂います。とても美しいのですが、同時に恐ろしくもありますね。嵐の前の静けさといった状態です。

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 これは「雪だるまつくろう」の最後のシーンにあったものと同じで、エルサの心が極限まで悲しみや絶望に堕ちた時に起きる現象ということでしょうね。これまで、どんなに落ち込んでもこの現象が起きなかったのにアナの死で起きたということは、それだけアナを大切に思っていたのでしょう。前編で述べたように自ら部屋に閉じこもってまで守りたかったわけですから。

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両親が死んだ時も同じ現象が起きています。

 この後は更なる嵐が起きるか、気温が著しく下がり、世界を凍らせるでしょう。人間は残らず凍りついてしまうことと思います。唯一、氷の魔法を使えるエルサを除いて。

「一人にして欲しい」というエルサの望みを魔法が叶えようとしているんですね。魔法は常にエルサの味方なんです。矢を射られた時に盾を作ったように、魔法はエルサを守り、そして愛しているんですよ。彼女はそれに気付いてませんが。

死を選ぶエルサ

 泣き崩れたエルサをハンスが手をかけようと剣を振り上げますが、彼女は泣き続けるだけです。恐らく、エルサはハンスの行動に気付いていたと思います。しかし、エルサは何もしません。彼女の魔法であれば簡単に防ぐことができるはずなのに。

 もうエルサは深い絶望に堕ちていますから、何か行動を起こす気力がないということもありますが、もう一つ理由があります。それは「死を選んだ」ということです。

 アナは魔法の呪いで死んだわけで、要は自分が殺したようなものです。そして、アレンデールはどんどん雪で覆われていく。その魔法を解く手段は自分にはない。ならば自分が死ねば魔法が解けるか最悪でも嵐は収まるかもしれない…エルサはそう考えたんですね。ずっと閉じこもることしかしてこなかった彼女は、もう最後はそれしか方法を思いつかなかったのです。

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エルサ!後ろ、後ろ! しかし、清々しいほどの悪人顔だなハンスよ…

 あの「レリゴー」の時と同じように開き直って、今度こそ魔女として氷の魔法で暴虐の限りを尽くすこともできたはずですが、エルサにはそんな選択肢は持ち合わせていません。それは、前編で解説したようにエルサがいい人間だからです。ここまで絶望しても、彼女は暗黒面に堕ちきれなかったんですね。エルサはアナは救えなかったが、せめて国の人々は救おうとハンスに殺されることを選んだのです。人を傷つけないために最後まで自分を犠牲にしようとしたんですね。

 エルサは魔女なるにしても一国の女王としても優しすぎたんです。

 やっぱり結婚しよう…

アナの愛がエルサを救う

 ハンスの狂気がエルサを貫こうとしたその時、死んだはずのアナが目の前に立ちはだかり、自身が凍り付きながらも剣を受け止めます。

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アナがハンスの前に立ちはだかる

 アナもまた自分の命を投げ出してまでエルサを救おうとしたんです。あれだけ誰かから愛されることを待ち続けたアナでしたが、大切なのは自分が愛することなんだと気付いたということです。「For The First Time in Forever(Reprise)」では、お互いに「分かってくれよ」「愛してくれよ」で全く噛み合いませんでしたが、ここでようやく「あなたを愛します」に変わるんですね。

 この「誰かを愛する」という受動ではなく能動的な想いが「真実の愛というわけです。

 アナがなぜこれに気付けたのかは、クリストフが瀕死の彼女を必死に城まで運んだ事ももちろんですが、一番はやはりオラフの存在でしょう。

 オラフはアナにはっきりと「愛というのは自分より人の事を大切に思うことだ」と言います。彼は最初から真実の愛がなんなのか分かっていたんです。もう答えは出ていたんですね。オラフはハグが好きで「ぎゅーって抱きしめて」って言いますけど、相手を抱きしめるというのはその人を大切に思っていないとできないんですよね。だからオラフは「抱きしめて」って、相手の愛を確認していたんじゃないかと思うのです。

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オラフはアナに真実の愛は何かを教えます。
オラフはエルサとアナの子供

 何故オラフが真実の愛を分かっていたのかですが、彼がエルサとアナの子供だからです。

 「何言ってんだこいつ?」と思ったかもしれませんが、決して私が姉妹カプを拗らせたとかそういうわけではありません(そうかもしれませんけど)

 オラフはエルサが生み出したので、まず彼女の側面を多く持っています。ハグが好きというのはエルサのずっと抱きしめて欲しいという思いから来てるでしょうし、凍りかけているアナを自分が溶けてしまう危険を顧みずに暖炉に火をともして近くまで運んであげた行動は、大切な人のために自分を犠牲にするエルサそのものです。そして、前向きで軽快であり、エルサの事を誰よりも分かっているところはアナですよね。さらに言うと、本当はお互いのことを大切に思っていて、とっくに真実の愛を知っているはずのエルサとアナの心も受け継いでいるんです。だから、生まれたばかりであるのに愛がなんなのか分かっているオラフはエルサとアナの子供なんです。

アナの呪いを解いたのはエルサではなく、アナ自身

 一度は完全に凍ってしまったアナでしたが、その直後に魔法が解けて息を吹き返します。

 ここはエルサがアナを抱きしめながら泣いているので、エルサの愛がアナの呪いを解いたと思われがちですがそうではありません。呪いを解いたのはアナ自身です。

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アナは自ら呪いに打ち勝つ

 先に述べたように、真実の愛とは大切な人を愛することです。つまり、それに沿った行動をすればパビーの野郎が言ったように呪いが解けるということになります。アナはエルサを助けるために、自分が助かる可能性を捨てました。「自分よりも人のことを想う」それができたアナは呪いに打ち勝つことができたわけですね。エルサに「I ove you」と伝えたことからも分かります。これは『アナ雪』本編で初めて出た本当に愛を伝える言葉でもありますね*2

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やっと手を取り合えた二人。美しい愛です。

 恐らく、アナがクリストフの方に真っすぐ向かったとしても呪いは解けなかったでしょう。大切なのは誰かにキスをしてもらうなど他人に委ねるのではなく、問題の本質を見つめて理解し、自ら行動して解決すること。これこそが「アナ雪」の重要なテーマであるといえるでしょう。

 アナは愛が何かを理解しましたが、エルサの方はどうなのか。もちろん、彼女も愛を理解しました。アナの決死の行動によって。

エルサにとっての真実の愛とは何か

 真実の愛は自分よりも他の誰かを大切に思うことで間違い無いですが、エルサに限って言えばもう一つあります。それは自分を愛することです。

 エルサは自分が側にいると傷つける、危険な力を持つ悪い人間だとひたすら自分を否定してきました。「Let It Go」で自己肯定したように見えますが、前編で解説したようにあれはグレた上の開き直りでより後退してしまいました。

 そんなエルサの心の呪いを解くには本当の意味での自己肯定しかありません。グレた状態のエルサではそれは無理ですが、アナの自己犠牲によってライトサイドに帰還した(更生した)彼女はようやく自分を見つめ直すことができるようになります。

 遅れてきた反抗期も短い期間で終わりましたね。よかったよかった。

 オラフの「真実の愛だけが凍った心を溶かす*3」という言葉でエルサは「そうよ、愛よ!」と魔法が制御できるようになります。

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エルサも愛が何かを思い出す

 彼女はやっと思い出したんですね。元々自分の魔法が好きだったこと、アナが大好きな氷の魔法を愛していたことを

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いいですよね、このシーン。綺麗で。

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ちょっと「ピーターパン」っぽい?

 エルサは幼少期の頃を見ていれば分かりますが、魔法を制御できないなんてことはないんです。前編で、アナの事故や両親(後パビー)の誤った行動でエルサは自分が悪い人間だと思い込んだと述べましたが、同じように魔法も制御できないのだと思い込んでいたんですね。

 アナがなぜあんなに「エルサは魔法を制御できる」と言い続けていたのかはこういう事なんです。魔法の記憶を失くしていても、エルサの魔法が大好きだった時の心は残っていて、それに突き動かされていたのでしょう。

 魔法がエルサを愛していたように、自分も魔法を愛すればいんだと気付いたエルサは本当の意味で魔法を解き放ち、もう隠す事をしなくなります。「Let it go(これでいいんだ)」と。

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魔法を完全に制御するエルサ
短いが重要なラストのスケートシーン

 スケートシーンは単にエルサが皆に受け入れて貰えたことを示すだけのシーンではないでしょう。

 ここでは、スケートはできないというアナにエルサが「絶対できるわ」と一緒に滑ります。これは、今までアナが「エルサなら絶対に魔法を操れるよ」と言い続けていたのをエルサが「そんなの無理よ」と返していたやり取りと対になってるんです。立場は逆転していますが、あのネガティブの塊だったエルサが「絶対できる」なんて言うとは…。その成長に感動です。姉妹が一緒なら、アレンデールも救えるし、スケートだって滑れるんです尊いですねぇ。

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仲良しスケート

 スクリーンディレクション*4的にもエルサが明確にポジティブである右方向に移動している貴重なシーンでもあります。グイっとアナを右に引っ張っていくんです。

 最後に音楽にも注目して欲しいです。ここで流れる曲は「For The First Time in Forever(生まれてはじめて)」と「Do You Want to Build a Snowman?(雪だるまつくろう)」のフレーズが含まれています(サントラでは「EPILOGUE」と題されてる曲ですね)。この2つの曲は、事前に解説でも述べた通り、姉妹の決定的なすれ違いを描いた曲でしたが、ここでは全く意味が変わります。

 ここでこれらの曲が流れるという事は、すれ違っていた姉妹の関係が完全に修復されて、元の仲の良い姉妹に戻りましたよってことなんです。エルサはあの時は誰にも会いたくないけど戴冠式だからと無理に門を開きましたが、「もう二度と門は閉じない」という言葉通り、ここでは心から門を開いています。エルサに会うことが怖かったアナも、今でもずっと一緒にいたいと思っているでしょう。正に姉妹の心の変化を描写していますよね。この後もエルサとアナはずっと仲良く暮らしましたってことなんでしょう*5エンドロールでも同様の曲で締めくくられている辺り、それは確かです。素敵なラストだと思います。

 スケートのシーンは短いですが、今までの出来事全てが清算されたに等しい重要なシーンなのです。

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ところで、これは“ドヤ顔”に入るんですかね?個人的には微妙なラインですが、入るとすればこの後エルサはスケートでコケるんじゃないかと思うんですね。

※エルサの“ドヤ顔”については、前編の「エルサドヤ顔のジンクス」を参照ください。

間違いの清算

 前編で『アナ雪』はエルサも周りも間違い続け、それを清算する物語だと述べました。では、その清算方法は何かですが、もうお分かりの通り「愛すること」です。

 エルサの魔法を恐れ、抱きしめる事ができずに枷を嵌めて牢獄に閉じ込めてしまった両親、エルサの部屋を叩くだけで歩み寄らなかったアナ、自分を否定して閉じこもったエルサ。

 それぞれが愛することができずに起きた悲劇を“愛すること”で清算するなんてとても美しいですよね。『アナ雪』はいいよなぁ、うんうん。

もう一つの『Let It Go』

 ついに来ましたよ、もう一つの『Let It Go』を語る時が!

 これのためにここまで長々と解説してきたといっても過言ではありません。

 あれ? でも、アナ雪本編はもう終わってるんじゃ…?と思うかもしれませんがまだあります!それは“エンドロール”です。

真の『Lte It Go』はエンドロールにある

 なんのこっちゃといったところですが、『アナ雪』の本当のラストシーンはエンドロールです。

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エンドロールです

 エンドロールでは雪山の【第一『Lte It Go(以下第一)』】とは違う、アップテンポの『Lte It Go(本家はデミ・ロヴァ―ト。吹き替えはMay J.)』が流れます。

 これは単なるカバー曲ではなく、本編後のエルサの心情を歌っている…私はそう思います!

 『Let It Go』は前編で散々解説したように、めちゃくちゃネガティブな曲です。でも、それだけで本当に終わっていい曲なのか? そんなわけがありません。

 真実の愛を知ったエルサはもう魔法も自分も恐れてはおらず、前よりも前向きになったはずです。ならば、このエンドロールで流れる『Let lt Go』はポジティブでないとおかしいのです。わざわざテンポを変えたものを流すわけですからね。意味がないわけがないと。

 その根拠に歌詞も微妙に違っているんですね。しかも、少しの違いで全く別の曲になっています。では、それをここから解説していきます。

※歌詞カードか本編のエンドロールを見ながら読んでね!

全ての言葉がポジティブに

 まず、最初の「Let it go , let it go~Couldn't keep it in」までの歌詞は今までの回想でしょう。『第一』では現状を歌っていたものでしたが、それらが全て過去のものになりました。もう魔法を隠す必要も閉じこもる必要もなくなったのだから、気にする必要はなくなったんですね。

 「Let it go ! ,let it go (これでいい、かまわない)」はもちろん完全にポジティブな意味になっています。そして、『第一』であれだけ言っていた「Let the storm rage on(嵐よ吹き荒れろ)」を一度も言いません。もう呪いをかけていないわけですね。

 「And here I stand and here I'll stay(ここから二度と動かない)」は『第一』では氷のお城に引き籠って全体に動かんぞー!っていうネガティブ極まりないものでしたが、ここでは皆ともう一度一緒にいたいからアレンデールで暮らすんだという前向きな「動かない」になっています。

 「Turn my buck and slam the door(ドアを勢いよく閉めるのよ)」は言うんですが、これも『第一』のような過去を全て否定し、もうどうでもいいんだっていうネガティブなものではなく、自分を愛せなかったダメな自分とはおさらばして、もうくよくよしないんだという前向きなものでしょうね。

 さらに、単なる強がりでしかなかった「The cold never bothered me anyway(寒さなんて全く平気なんだから)」が本心になりました。前編で解説したように「少しも寒くない」とドヤ顔したところで心は寒いままでしたが、今のエルサには大好きな妹も側にいますし、オラフという新しい家族もでき、自分の魔法に恐れる事もありません。

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 歌詞の変更も重要なポイントです。『第一』の「It's time to see~I'm free !」,までのグレてしまった箇所の歌詞がごっそり抜けて「Up here in the cold thin air. I finally can breathe.I know I left a life behind. But I'm too relieved to grieve(冷たく薄い空気の中にいるとやっと息ができる。でも、私はすっかり気が楽になって悲しむ気にもなれない)」という歌詞になっています。エルサの心境の変化がよく表れています。「まだ一人でいる方が楽ではあるけど、だからと言ってもう悲しまないわ」ともう『第一』の時のような開き直っただけの自由ではなくなったということでしょう。

 そしてそして、一番曲調が変わる「Standing~In the snow」の部分です。これは新たに追加された歌詞ですので、エルサの新たな心情を歌ったものでしょう。一番重要なので部分部分で見ていきます。

 「Standing Frozen In the life I've chosen You Won't Find me(自分が選んだ生き方で凍ったまま立っている私をあなたは見つけることができないでしょう)」の部分。「自分が選んだ生き方」は正にアナを守るために閉じこもる事にした13年間の人生で「凍ったまま立っている私」はその13年間ですっかり心が冷え切ってしまい、レリゴーで開き直ってアレンデールを雪で覆いつくしたエルサのことでしょう。「あなた」はエルサ自身のことです。つまり、「もう過ちは犯さない。心の凍った自分はもう消えたから悲しもうとしても無駄よ」ってことでしょうね。それと、これは私の妄想的な解釈になりますが、既にこの時点であの「レリゴー」は過ちだったと彼女は認識しているのではないでしょうか*6。だって、短い間とはいえグレちゃったわけですからね。おまけに国をあんなに雪だらけにして。反省しないとダメです。で、反省したんですからやっぱりエルサはいい子なんです。

  続く「The past is all behind me Buried In the snow(過去は全て去り、雪の中に埋もれている)」ですが、これはもうそのままの意味ですよね。辛く寂しかった過去は、これから始まる幸せな人生が雪のように覆ってくれると。

 ものすごいポジティブですよね。『第一』ではあんなにネガティブだったのに。「Let it go」で歌が終わるのもいいです。エルサが「これでいいのよ」って前向きになったのが分かって。

 私はこの【第二『Let It Go』】、いや【真『Let It Go』】というべきですかね。これを聞くと、エルサは救われたんだなって幸せな気持ちになります。エルサが伸び伸びと楽しそうに魔法を使っている姿が想像できますよね。同じ歌なのにこんなにも意味が変わってしまうなんて素晴らしいと思いませんか?

 『アナ雪』はエンドロールが真のエンディングなのです(おまけ映像もありますけどね)。だから、ここで席を立ったり帰ってはいけません。最後まで見ないと。

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映し出される模様の数々はエルサが魔法で作ったんだと思います。
日本語吹き替え版の歌詞はEDでは適切

 私は前編で日本語吹き替え版の歌詞は変えられ過ぎていて“この時点”では適切ではないと述べました。何故“この時点”と書いたのかといえば、エンドロールでは適切になるからなんです。

 吹き替え版の歌詞はほぼ全てポジティブな意味に変えられています。だからこそ、エルサの心境が変化した後のエンドロールにぴったりなんです。

 May J.が歌うエンドロール版は松たか子版とほぼ歌詞は一緒ですが、一部変更されている箇所があります。それは先程解説した箇所と同様の部分を意訳した「ずっとずっと泣いていたけど、きっときっと幸せになれる。もっと輝くの」です。例のごとく、原語と大分違いますが今のエルサにはぴったりな翻訳でしょう。

 もし、『Let It Go』の翻訳が本編ではなるべく原語に沿ったもので、エンドロールでは現行の吹き替え版翻訳であったのなら映画を的確に表現したものになり、より素晴らしいものになったのではないかなぁと思うんですよね。まあ、マーケティング的にはあれで正しかったんでしょうけど。

 私は吹き替え版の歌詞は本編では的確ではないとは言いましたが、『Let It Go』がネガティブな曲だという前提で見れば、吹き替え版の歌詞はエンドロールでも変化が少ないためにダブルミーニングが強調されているとも取れ、深みが増していると言えるかもしれません。

 『Let It Go』はいいねぇ。そう感じないか? アナ雪ファンの諸君。

最後に

 これで、2つの『Let It Go』の解説を終わります。これが『アナ雪』だ!真実だ!と偉そうに言うつもりはありませんが、この映画をより好きになって貰えたら幸いです。

 長くなって本当にすまないと思っているんですが、まだ『アナ雪』の全てを語ったわけではありません。特にアナについては、まだ十分に振れていませんしね。

 『アナ雪』は、また個別に特集でも組んで語ろうと思ってます。2も語らないといけないですしね。その時はまたよろしくお願いします!

 それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!

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 参考資料

*1:ただし、この辺は短編の「家族の思い出」で、実はアナは毎年オラフのクリスマスカード等をエルサに送っていたというフォローというか後付け設定が追加されてしまったので、ちょっと弱くなっちゃうんですけどね。あのエピソードも好きではあるんですけども、戴冠式の時のぎくしゃくした感じや、アナが初めてオラフを見た時の反応などに説得力がなくなってきちゃうんで余計だったんじゃないかなぁとも思います。少なくともこの『アナ雪1』の時点では、久々にドアを叩いたのは両親が死んでしまった時なのではないかという解釈をしています。

*2:字幕や吹き替えの訳も悪くはないですが、ここは素直に「愛してるからよ」とか「大好きだから」にして欲しかったなぁと思います。

*3:ここでも彼がキーマンですね

*4:前編のスクリーンディレクションの項目を参照ください

*5:2で別々に暮らす事にはなりますけど、心は一つですし、たまに会ってるようですので別離でありませんよね。

*6:2で黒歴史的な扱いをされている「レリゴー」ですが、ここをその伏線として無理やり繋げる事もできそうです。

【解説!『アナと雪の女王』】2つの『Let It Go』とその真実(前編)

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はじめに

 当ブログ最初の映画解説はあの大ヒット作『アナと雪の女王にしました。

 なぜ今この作品なのかというと、私が好きである映画なのはもちろん、今後2を語るには今作に触れないわけにはいかないのと、その人気の裏で多くの人に勘違いされている映画なんじゃないかと思っているからです。

 実際に公開当時のレビューでは歌ばかりが持ち上げられたり(実際素晴らしいが)、「曲だけで他は平凡」等の批判意見も多く見られて、「それだけじゃないんだよ…」と歯痒い気持ちになったりしました。

 確かに『Let It Go』は『アナと雪の女王(以下アナ雪)』を代表する曲であり、映画そのものを表している曲でもあります。「レリゴー」や「ありのまま~」というフレーズは一度は聴いたことがあるでしょう。

 しかし、この曲で大々的にプロモーションされた結果、多くの人がそれに引きずられてしまい、特に本家とは大幅に変更された日本語吹き替え版の歌詞はそれそのものは素晴らしくはあるのですが、映画が大きく誤解される要因を作ってしまったとも思っています。

 そこで、この『Let It Go』は本当はどんな曲なのか。"2つの"とは何か。そして、「アナ雪」とはどんな映画なのか。今回は今作を代表するキャラクターであり、私が愛してやまない「エルサ」を中心にして解説してみることにしました。

 もちろん、アナ雪ファンの方からしてみればとっくに考察しつくされたことであり、今更なことかもしれませんが、もっと「アナ雪」が好きになるように書いたつもりです。

 私の妄想も多いに含んでいるかと思いますが、最後まで付き合っていただければ幸いです。

 ※ここから前編だけでも2万字くらいあってめっちゃ長いので、面倒だと思ったら目次から好きなところに飛んでいただくか、太字とアンダーラインを引いた箇所を読むだけでもいいです。

 

 

 「Let It Go」はめちゃくちゃネガティブな曲

 まず最初に言っておくと、『Let It Go』は前向きな曲ではありません。めちゃくちゃネガティブなのです。

 しかし、この曲を前向きな歌だと思っている人も多いのではないでしょうか。そういう風にしか聴こえないですものね。日本語吹き替え版では意図的にポジティブにされていますし。

 でも、原語の方の歌詞やシチュエーションを紐解いていくとホントにネガティブなんですよ。マイナスな事ばっかり言ってるので。

 ここでのエルサは必死に隠してきた魔法を知られてしまったがために「もう女王なんてどうでもいい!」と開き直り、アレンデールを極寒の冬へと変え、外界との繋がりを完全に拒絶します。

 もうこのシチュエーションだけでネガティブだと分かるんですが、「Let It Go」の曲調が明るい上にエルサも伸び伸びと歌っているため、そうだと気付きにくいですよね。その上、聴いてるこっちも気分がめちゃくちゃ上がります。このネガティブだったりマイナスな場面で明るい表現を被せてくるというのがもうこの映画が素晴らしい所以なんです。

 私はこれに近い曲として尾崎豊の「15の夜」や「卒業」、XJAPANの「紅」などをイメージするんですよ。あれらも歌詞自体は暗いんですけど、気分はめっちゃ上がりますからね!

 これらに共通してるのは、辛い現実や抑圧された環境から逃げたいっていう思いを歌が叶えてくれるという点でしょう。気分は満たされて、解放されていくように感じるのですごく自由になれた気がするのだけれど現実は決してそうではない。さらに歌そのものはどんどん闇へと突き進んでいくので、危険性も含んだ歌でもあります。 

 なので、『Let It Go』を「闇落ちソング」と見ることもでき、エルサが暗黒面へと堕ちて凶悪な魔女へと変貌する過程を描いていると解釈することができます。

 まあ、凶悪な魔女だとちょっと言い過ぎな感じもするので、「遅れてきた反抗期」ですかね。要するにグレちゃったと。

 そんな『Let It Go』なんですが、実はこの映画の中では2つ存在し、全く別の歌へと最終的に昇華するのです。

 では、その意味と「Let It Go」の真実とはなんなのか。それを本家の歌詞を踏まえて解説していきます。

 まだ未練のあるエルサ

 『Let It Go』は、マントを引きずりながらトボトボと雪山を登るエルサのシーンからスタートします。

 ここが2つのうちの1つ目ですので、【第一『Let It Go』】とでも呼んでおきましょうか。

 この気持ち的には沈んでいるのに上へと登っていくという真逆の表現であるところにちょっと注目しつつ見ていただきたいです。

 ここでエルサは後ろを振り返りながら「今夜は雪が山を白く覆って足跡一つ見えないわね」と言います。雪が足跡を消したと思ってしまうところですがそうではありません。エルサの付けた足跡は背負っているマントにかき消されているのです。

 このマントを「王国を背負う重荷。魔法を知られてはいけない重圧」と考えると、かき消された足跡はエルサ自身であり、彼女は今まで王国にその存在を否定されてきた、隠されていたことへのメタファーになっていることが分かります。

 しかし、そんな何かに追われるように逃げてきたアレンデール王国をエルサは振り返ります。振り返るという事はまだ未練がある証拠です。勢いよく暗い夜の帳の中へ飛び出してきたはいいものの、女王としての責任放棄に他ならず「今からでも戻るべきかしら……」と後悔しているのでしょう。

 このマントを引きずって歩いたり、振り返る動作は未練を表すアニメーションによる演技であり、一つ一つ意味があります。ここで仮にエルサが「飛び出してきちゃったわ」等の状況を台詞で言ってしまうと、それは演技ではなく説明になってしまい、一気に陳腐になります。よく「説明台詞」などと揶揄されるやつですね。なので、エルサにいちいち言葉にさせないのです。

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まだ未練があるかのようにアレンデール王国を振り返るエルサ

 では、なぜここで後悔してしまうのかというと、エルサが"素直でいい子"であり、そのような人間であるようにずっと言われてきたからです。後の歌詞に出てくる"Perfect girl"や、「For the First Time in Forever(生まれてはじめて)」等の歌詞にある"Be the good girl"がそれです。

 エルサは女王として、人として完璧でないといけない、そこに魔法の存在など許されないのだと思い込み、ずっと自分に言い聞かせてきたのです。ある種の自己暗示というか洗脳に近いです。だから、ここで彼女は職務を放棄したことを後悔しなければ"いけない"のです。

 しかし、振り返ったところで自分の付けた足跡すらありません。マントを引きずった跡こそあるものの、それもほとんど雪で覆われて消えかかっています。自分を縛っていたはずの王国への道筋すらもう無いのです。

 エルサは後悔したところでもうあそこに戻ることなどできず、完全に独りになってしまったことを悟ります。エルサはきっと存在そのものを全否定されたように感じたでしょう。

自虐の女王エルサさん

 そして、「まるで孤独の王国。私はその女王って感じね……」とため息をつきながら言います。

 つまり自虐ですね。

 孤独の女王とかなかなか出てこない台詞ですよ。アレンデール王国でも女王なエルサですけど、あそこでも彼女は孤独でした。なので、ここでの状況と掛けているんでしょうけども、自虐に拍車がかかっています。

 ここからエルサが基本的に悪い方向にばっかり考えるマイナス思考の人間なのがよく分かります(そこがまた愛おしい…)。

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自虐モードに入るエルサさん

 自虐モードに入ったエルサさんは「私の中で渦巻く嵐のように風が唸っている。本当に頑張ったけど無理だった。それを知ってるのは天だけよ……」と呟きます。

 エルサはここで自分の身体を腕で包むように抱きしめるのですが、単に寒がっているわけではありません。

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寒そうに自分自身を抱きしめている
エルサの癖

 これはエルサが自分の中に渦巻く感情、恐れや不安を抑え込もうとする時にする仕草です。

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 要するに彼女の癖なんですね。

 感情が溢れ出すと魔法が暴走してしまうと分かっているエルサは、半ば無意識に自分を抑え付けようとしているのです。

 心も身体もとても寒い状態です。

 自分の存在がなんなのかさえ分からず震えているのです。「少しも寒くない」とか嘘っぱちなんですよ。

 とても辛いでしょう……自分の感情を表に出せないんですからね。

 私はこの仕草を見ると、彼女をそっと抱きしめたくなります。彼女の重荷を代わりに背負ってあげたい……

 これはもう結婚するしかないですね!

再び自分に言い聞かせるエルサ

 ここでちょっと曲調が変わり、エルサは何かを指さすような動作をしながら「誰も中に入れてはダメ。見られてはいけない。いつだっていい子にしているの。感情を抑えて秘密にしていなくちゃ。誰にも知られないように」と歌い出します。

 ここはどういうことかというと、エルサが再び自分に言い聞かせているシーンであり、今まで両親に言われてきたことの再現です。

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自分自身を指さすエルサ。指の先にはもう一人の彼女がいます。

 「"いい子(good girl)"でいなきゃいけない。だってずっとしてきた、そう言われてきたじゃない。こんな風にね」と過去を再現しつつ、お説教しているわけです。

 ここは「Do You Want to Build a Snowman?(雪だるまつくろう)」を見返すとわかります。ここでエルサは父親であるアグナル王から感情を抑え、魔法を見せないように言われます。これがエルサにとっての呪いとなってしまうのです。

いい子であろうとする呪い

 もちろん、アグナルにはエルサに呪いをかけたつもりは全くありません。愛するエルサが幸せになれるように、一時の我慢としてエルサにそのように言い聞かせたんです。アグナルは魔法はエルサを苦しめる恐ろしいものだと思ってしまったのでしょう*1。なら、そんなものは外に見せない方がいいし、できれば無い方がいいのだと。「愛ゆえの恐れ」なんですね。

 結果的にはそのやり方は完全に間違いだったわけですが、彼がこういう行動を取ってしまったのも無理はないでしょう。なにせ、実際にアナが魔法で大変なことになりましたし、パビーとやらが「心臓に当たっていたら救えなかった」とか「下手するとエルサ本人も危ないかもよ?」とかひたすら脅しましたしね。こいつもこいつで結構問題を根深くした一人なんじゃないかと。エルサが自分の魔法を恐れた原因はパビーにも大いにあると思ってます。

 ちょっと脱線しちゃいますが、なんというかこのパビーの思わせぶりなことばかり言うけど、結局は何もしてくれないキャラとして『スター・ウォーズ』のヨーダ*2とめっちゃ被るんですよ(見た目や未来を読んだりと似てますし)。割とパビーはヨーダをモデルにしてるんじゃねぇのか?と思ったりします。

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思わせぶりなことばかり言うけど何もしてくれない人です

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わざわざこんなもの見せて脅さなくてもいいだろうに…

 そんな風に魔法は危ないものだと刷り込まれてしまったエルサは、言いつけの通りに部屋に閉じこもっていい子にしてたんですが、歳を重ねるにつれて魔法が強くなっていき、ちょっとしたことで魔法が発動するようになってしまいます。

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ここは外に出たいというエルサの感情の発露でしょうね

 アグナルはエルサのためにと魔法が発動しないように手袋をはめてあげます。しかし、これもまた誤った行動でした。アグナルからすれば、親としてエルサを思っての事でしょうが、これは魔法の完全な否定であり、エルサにとっての手枷になってしまいます

 つまり、エルサが閉じこもる部屋は完全に牢獄になったといえ、彼女は手枷をはめられ、身も心も閉じ込められてしまうわけです。そして、それは13年間も続き、この異常な環境がエルサにとっては日常になってしまったわけですね。

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大好きな両親の言いつけをエルサは守りたかったでしょう。しかし、それはほとんど呪いのようなものです。

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ここで両親も魔法を恐れず、怯えるエルサを無理やりにでも抱きしめることができていれば、結果は違っていたかもしれません。

 過去の一連の出来事を思い出し、再び日常に戻ろう。そう自分に言い聞かせるエルサですが、それが無駄な事をエルサは分かっていました。なぜなら、もう魔法を完全に"知られてしまった"からです。

エルサは五段階の変身をする

 かつてのGood girl には戻れないことを悟ったエルサは、ここから自分を抑え込むのを止め、どんどん自分を開放していきます。行儀よく真面目なんてできやしないのです。

 そして、その変化は五段階あります。

第一の変身:手袋を脱ぎ捨て、魔法を完全に解放する

第二の変身:マントを脱ぎ捨て、王国を背負う重荷を捨て去る

第三の変身:王冠を捨てて、女王という立場を放棄する

第四の変身:結っていた髪を下ろして、自分を開放する

第五の変身:新しい服を纏い、全く違う自分へと変わる

 このようにエルサは過去や背負ってきたものをどんどん脱ぎ捨て、今まで大事にしてきたものを含めた全てを否定してしまいます。「あんなことが無ければ、こんな能力さえなければ私はこんな目に会わなかったのに」と。

 では、その変貌の様子をここから見ていくことにしましょう。

エルサ第一形態

 第一の変身は手袋を捨てるところから始まりますが、その少し前から見ていくことにします。

 エルサは手袋を捨てる前に、それを睨みつけます。これは「ずっとこんなものを付けて隠してきたのに全部無駄だったじゃない。今までの苦労はいったい何だったのよ!」と苦労が報われなかったことへの恨みや怒りの感情が現れているといっていいでしょう。手袋は自分への枷だったことにも気付いてしまったはずです。

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手袋を睨みつけるエルサ

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こんなものとはもうおさらばする。エルサは「もう魔法をみんなに知られてしまったから!」と手袋を捨て去ります。

 両手が解放され、ついに枷を外したエルサは「Lte it go,Let it go(そうよ。これでいいのよ」と魔法を試し始めます。

 エルサにされていた魔法の封印は完全に溶けた状態です。

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閉じこもってからまともに使っていなかった魔法を試し始める

 過去を捨て、魔法を使い始めるエルサは一見前向きになったように見えます。しかし、歌の歌詞を見ていくとそうではないことが分かってしまいます。

 エルサは魔法を試しながら「これでいい。もう何も隠す事なんてできないし。だからこれでいいの」と歌います。

 「Let it go」の意味は字幕版の翻訳にあるように「これでいい。もうどうでもいい」みたいなニュアンスが強いです。

 吹き替え版の「ありのままの」だとちょっとニュアンスがズレてしまうんです。

 つまりここでのエルサは、"Turn away slam the door!(ドアを勢いよく閉めるのよ)"という歌詞からも分かるように、過去を全て否定し約束事なんてもうどうだっていいんだと自分に言い聞かせて開き直ってるだけなんですね。

 そう、エルサは今度は自分の言葉で自分を閉じ込めてしまっているのです。

 過去を捨ててしまうということは、今までのエルサの人生全てを否定する事とイコールであり、それはエルサが別の存在へと変わってしまうことでもあります。

 "過去を振り返らない"というポジティブな見方もできなくはないんですが、ドアを"勢いよく"閉めるという表現からしても後ろ向きでしかないでしょう。

 つまり、ここからエルサが暗い闇に堕ちていく…魔女化が始まります。そして、それは変身をする度に顕著になっていきます。

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半ば無意識に作ったこの雪だるま(オラフ)は、後に生命を宿して動き出します。新しい生命を創造できるのは神のみとすれば、それに反する所業は正に悪魔の従者である魔女そのものだとも言えます。

 エルサ第二形態

 雪だるまを作ったりして、「誰が何と言おうと気にしない」と開き直り始めたエルサは第二の変身へと向かいます。

 ここでついにエルサはマントを脱ぎ棄て、自分を縛り付けていた王国を放棄します。重荷を捨てたため、心も身体も開放されたからいいのでは思いたいところですが、そうもいかないのです。

 マントを捨て去る直前に、エルサは恐ろしいことを口走ります。

 「Let the storm rage on(嵐よ、もっと吹き荒れるがいい)」と。

 つまり、「嵐が吹き荒れようともう私は気にしないし、もっと吹き荒れてしまえばいい」とほとんど無意識に願ってしまう。そして「The cold never bothered me anyway(だって、私はちっとも寒くなんてないんだから)」と言いながら、マントを捨てます。

 寒くないって言うだけなら単純な話なんですが、これはかなり自分勝手な理論なんですね。悪役(ヴィラン)が言うような「自分の理想の世界を作り、好き勝手生きようじゃないか」と同じです。

 フィクション世界の悪役は、例え崇高な目的があったとしてもそれはエゴ*3からくることが多いです。

 『スター・ウォーズ』を例に出せば、暗黒面に堕ちたアナキン・スカイウォーカー*4がパドメに「銀河を支配して、二人で思うがままに生きよう」と言い放ちます。正義のジェダイだったアナキンとは別人のような言動に、パドメは強いショックを受け絶望してしまいます。

 エルサも同じように、善の側にいた人間とは到底思えないような思考をしてしまっているわけですね。彼女が悪の道に近づいているという証左でしょう。

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悪に堕ちた人間は自己中心的な思考をしがちです

 魔法を解放したエルサは恐らく身体的な寒さはほとんど感じなくなっており、どんなに嵐が吹き荒れようが全く問題がないのです。他の人は凍えてしまうかもしれないのに…。

 そんなエルサの思いと共に、マントは風に乗って飛んでいきます。

 アレンデールの方角に…

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マントがアレンデールの方に飛んでいくということは、エルサの無意識の呪いも王国に飛んでいったということになるでしょう

 マントを捨て、この支配からの卒業をしたエルサさんはどんどん自由へと踏み出していきます。

 ここでエルサは「笑っちゃうわよね。ここから見たら何もかもちっぽけに見えるなんて。かつて私を支配した恐怖はもう何もできやしないんだ」と振り返って後ろ歩きしながら言います。

 この視線はマントの飛んでいった先であるアレンデール王国があります。映画の映像には王国の灯りなどは映ってはいませんが、エルサの目にはハッキリとそれが映っているはずです。「あえて見せない」という抽象的表現なのです。

 つまり、ここでのエルサの心境は、あんなに自分にとって大きな存在で重荷でもあった王国がここからはとても小さく見えることで、今までの悩みが馬鹿らしくなって嘲笑ってるんですね。

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エルサの目にはハッキリと自分のいた王国が映っている

 ここで、ちょっと冒頭のシーンを思い出して欲しいんですが、エルサはあの時は未練があるように振り返っていました。しかし、ここではニコニコ笑いながら後ろ歩きして王国の方を見つめながら遠ざかっています。そして一気にそれに背を向けて駆け出します。もう未練などなく、王国になんて戻らないという決意の表れです。冒頭との対比構造になっているのが分かります。

 エルサ、ついにグレる

 エルサ第二形態の説明はもうちょっと続きます。ここが一番重要なポイントだと私は思うので。

 駆け出したエルサは「私に何ができるか試す時よ。自分の限界を超えなくちゃ」と深い谷(峡谷)の間に階段を作ります。

 ここに深い谷があるというのがまた重要です。単に山だから深い谷があったというわけではなくて、ちゃんと意味があるのですが、それは後ほど説明します。

 

 峡谷に階段を作ったエルサは、谷を見下ろしながら「私には善悪もルールも関係ない」とまた恐ろしいことを言っちゃいます。前にも述べた通り、悪役の理論ですね。

 そして、エルサは「I'm free!(私は自由よ!)」と力強く言って階段に足を踏み出します。まさにここがエルサにとっての分岐点です。「I'm free!」はそのままの意味ではないんです。「私と契約しよう」と囁く悪魔に「するわ!」と返答したことも同時に表しています。エルサは暗黒面に足を踏み入れて、魔女になることにしたんですね。

そう、ついにグレてしまったんです。自由になれた気がした21の夜ですよ。

 なぜそう言えるのかというと、先程の峡谷の要素も含めて説明します。

この峡谷は要するに善悪の境目です。

 映画では何かの分岐点を表す際に、それを「線」で表現することがあります。単に一本の線としてではなく、例えば道に残ったタイヤの後だったり、通路だったり、影や明かりだったりします。それを越えるかいなかで、登場人物の経過や行く末を見ることができます。

 この峡谷がその「線」とすれば、エルサはそれを越えずにいい子ちゃんのままでいるか、それとも越えてワルへとなるのかの選択を迫られていることになります。「この先へ進んだら悪への道。悪魔になるか人間のままでいるか、さあ選べ!」と谷は囁いていたのです。それをエルサは躊躇せず渡ってしまうのです。

 映像でも一瞬ですが"ここに深い谷がありますよ"と明確に示しています。

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白く光る魔法が暗い谷をより不気味に演出しています

 わざわざここで映すのですから、意味が無いわけがありません。ディズニーのような一流のアニメーション制作会社ならなおさらです。

 深くて暗い谷は闇へと堕ちることへのメタファーでもあるということでしょう。

エルサが明るく歌い、美しく魔法が発動しているのと一緒に深く暗い谷を映すことで、彼女が闇へと堕ちていっていることをより強調しています。

 そして、エルサは笑いながら「Let it go!  Let it go!  I am one with the wind and sky!(これでいいのよ!かまわない!風と空は私と一つなんだから!)」と橋を作りながら、勢いよく峡谷を渡って登っていきます。気分的には盗んだバイクで走り出してる感じですかね。

 ここまでは単に私の考察に過ぎない、妄想の類だと言えなくもありませんが、実はそうと言い切れない明確な根拠があります。

 それが"スクリーンディレクション"です。

スクリーンディレクションとは

 スクリーンディレクションとは画面内で動いている人物や物の動きのことです。

それが何を意味するのかを簡単に説明します。

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  • 左右の動き

 人は左から右への動きを心地よく感じるが、逆に右から左への動きは心地よく感じにくい。

 言い換えれば、右への動きは陽(ポジティブ)。左への動きは陰(ネガティブ)とすることができます。

 これは人の目が普段から文章を読むことに慣れているため、左から右の流れを心地よく感じるのだそうです。このブログも左から右ですよね。

  • 上下の動き

 画面の下方向への動きは、重力に従っているため容易に見えることが多い。画面の上方向への動きは重力に逆らっているため困難な動きに見えやすい。

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 上記を踏まえて、これまでの『Let It Go』の一連のシーンを振り返ってみましょう。

 できれば、最初から映像を確認して欲しいのですが、エルサは峡谷のシーンに至るまでの全てにおいて左方向に移動してるんですよ。それは『Let It Go』のみならず、エルサのシーン(少なくとも成人してから)のほとんどにおいてそうです。明確に右方向に移動したのはラストシーンのみです。

 偶然なんじゃないか?と思うかもしれませんが、ディズニーほどの会社がこのスクリーンディレクションを無視して映画を制作してるわけがないのではと。

 『アナ雪』全てのシーンがそうだと言うつもりは全くありませんが、少なくともエルサの演出に関しては明確に意識して作られていると思います(では上下の方はどうなのか?という疑問も出てきたと思いますが、それは後ほど説明します)。

 以上の点からしても、『Let It Go』には意図されたネガティブさが含まれていることとエルサが闇に囚われていっているのは明確でしょう。スクリーンディレクションを知らなくても「明るいけどなんか違和感あるなぁ」と感じていた人は多いんではないでしょうか。

ついに氷の宮殿を建てるエルサ

 峡谷を渡り切ったエルサは「もう決して泣かない。誰も私が泣くのを見ることはないでしょうね」と、ちょっと辛そうな顔をしながら言います。ここは人前では泣かないという意味だけではなくて、もう誰にも会わないのだという意思表示も入っています。今まで一人の部屋で泣いてきたのでしょうね……

 でも、それももう止めにすると。二度と泣くことは無いし、例え泣いたとしても誰にも見られることはない。だから、泣いた事にもならない。これでいいんだと。

 しかし、泣きそうな顔の後の開き直った笑顔を見ると本心からなのだろうかと疑ってしまいます(ここも映像を確認して欲しいです。いろんな表情をしてますので)。

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表情の変化も重要なポイントです

 泣かない決意をしたエルサは更なる決意表明をします。

 「Here I stand(私はここに立つ!)」と力強く言って、足を高く上げて思いっきり振り下ろします。すると氷の結晶が出来上がって広がっていきます。

 この足を高く上げて振り下ろすというのが強い決意の表れです。地面を踏み鳴らすような音も相成って、その効果を高めています。今まで隠されて育ってきたエルサの魂の叫びですね。「私はここにいるぞぉ!」と。

 その後「and here I'll stay(そしてここに残る)」と続き、大きな氷の結晶が出来上がります。これは巨大な魔方陣のようなものですね。強力な魔法の準備が調った状態です。「 I'll stay」の「will」は「意思」という意味でいいでしょう。つまり、ここの一連のシーンは「この雪山こそが私の居場所だ。私はここから二度と動かない。とにかくもう王国や城には帰りたくない!」という明確な決意表明です。

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力強い動作がエルサの意思の強さを表しています

 決意表明後、「嵐よ吹き荒れればいい」とまた怖いことを言います。これで二度目です。もう結構悪い顔をしてるので、悪に染まってきたのが分かりますね。

 そして更に悪い顔をしながら(無邪気な感じにも見えます)、ついに氷の宮殿を建てます。自分の力の限界に挑戦してるんですね。城を建てちゃうとか凄まじい魔力ですよ。地面から城の土台がグングン伸びていくというダイナミックでとても迫力のあるシーンです。

 ここで先程のスクリーンディレクションの上下の要素に触れていきます。

 上下の移動についておさらいをしてきますと…

  • 画面の下方向への動きは、重力に従っているため容易に見えることが多い。画面の上方向への動きは重力に逆らっているため困難な動きに見えやすい。

 宮殿は上へと伸びながら作られていくので上方向の移動ですね。つまり、エルサは困難であるはずの宮殿の建設を簡単に行っているため、彼女の魔法がとても強大であることを示しているといえます。宮殿が出来上がる中で、エルサの魔法はどんどん強力になっていくのです(解放されていくとも言えます)。

 それと同時に、エルサがより困難な道へ歩んでいることも表しています(この後のストーリー的にも分かりますよね)。

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エルサの魔法はより強大になっていく

エルサ第三形態

 ようやく第三の変身まできました。エルサは氷の宮殿を作りながら歌い続けます。

 「我が力は大気から地に満ちる。我が魂は氷の結晶の螺旋を描き、凍てつく突風のように我が意思を結晶化する。」

 ちょっと中二チックにしてみましたが、要するに呪文詠唱みたいなもんです。

 ここでついに王冠を捨て去るのですが、その前にここの歌詞も分析しておきましょう。

 「螺旋」がキーワードに思います。「螺旋=渦巻」は冥界や生と再生の循環の象徴とされることが多いです。それを主軸として、歌詞を紐解いてみます。

 魔法はエルサの感情の表れなのは映画を見るに明らかなので、「力は大地から地に満ちる」というのは彼女の想いが地に広がっていくことを意味し、「氷の結晶の螺旋」はそれが渦巻いていること、そして今までの辛かった記憶が「循環」している(繰り返し蘇ってくる)ということでしょう。それらの想いや記憶がこの氷の宮殿を形作っているということです。更に生命の循環という点で見れば、過去のエルサは死に今のエルサへと生まれ変わったと考えることもできます。つまり、宮殿はエルサそのものでもあるのではないでしょうか

 美しい宮殿ですが、ところどころ鋭利のように尖った部分があるのはエルサの辛い感情の表れと見ることもできるでしょう。

エルサ、女王辞めるってよ

 氷の宮殿を作り上げたエルサは、「私は決して戻らない。過去はもう過ぎたことよ」と被っていた王冠を勢いよく投げ捨てます。マントを捨ててアレンデール王国を放棄したエルサは、ついにその女王であることも放棄してしまいます。

 ここも手袋を捨てた時と同じように、王冠を一瞬睨みつけるんですよ。

 「こんなもの被りたくなかった。女王になんてなりたくなかった。これを被らされたせいで秘密を全部知られてしまったんじゃない」

 そう言ってるように見えます。

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ギロッと王冠を睨みつけます

 そして、ニヤッと意地悪く笑って王冠を放り投げる。投げた後なんて清々しいほどの笑顔です。「ほぅら、捨ててやったわよ! どんなもんじゃい!」って。

 王冠はまさに女王としての象徴ですから、「もう女王は辞めた。もう元の私になんて戻らない。絶対に女王になんてならない」と女王としての自分を完全に放棄したんですね。なりたい自分になるんだと決意を固めたからこそ、こんな顔ができたんです。

 そう、「雪の女王」になるという決意です。

エルサ第四形態

  背負っていたもの全てを捨てたエルサは、アップにしていた髪を下ろして三つ編みを作ります。お馴染みのエルサの姿になってきましたね。第四の変身です。

 このシーンはホントに優雅で、ちょっと妖艶でもありますよね。なんだがイケナイものを見ている気分になります。

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鬱憤が溜まってた分、派手な髪型にもしたくなりますわな

 ここでの「Let it go!  Let it go!」は「かまわない! どうでもいいの!」という意味が強いでしょう。直前の歌詞にかかってる言葉ですね。「王国も女王もどうでもいい! 私は自分の生きたいように生きるんだ!」と。

 髪を下ろすのにももちろん意味があります

 今のエルサさんはグレてますから、髪型をちょっと奇抜にしたい気分なんだってことで終わりにしてもいいんですけど、もうちょっと紐解いてみますか。髪だけに。

 まずは心の解放ではないでしょうか。アップにしていた髪は王冠を捨てても残っていた堅苦しい女王としての姿でもありますから、それを捨てて違う自分になるということ。

 もう一つの意味は、「下ろす」というのは下方向への動きですから動き出したものは止まらない。「もう私を止めることはできない」ということにもなるでしょう。

 三つ編みにすることもまた意味があるのではないかと思います。三つ編みもまた「捻じれ(螺旋)」の一種であるとすれば、女王である自分とそれを捨てた自分が循環している、要するにまだ迷っているのではないかと考えることもできます。それを結んで閉じてしまうことで、心を無理やり閉じていると見ることもできるんじゃないかと思います。

 エルサはこの後二度と髪をアップにすることがないので、単純にこの髪型が気に入ってるのかもしれませんけどね。

エルサ第五形態

 ついに最後の変身ですね。あの青いドレスを纏います(この時はまだ更なる変身を残しているとは思いもしなかった…*5

 ここでエルサは「And I`ll rise like the break of dawn!(そして、夜明けのように私は立ち上がる!)」と歌うんですが、字幕で「新しい夜明けよ」と訳されているように「生まれ変わる」とか「復活する」みたいな意味合いが強いと思います。

 要するに魔女の誕生です。

 悪に染まった人間は暗いイメージの衣装を身にまとうことが多いですが、エルサはその逆です。これも『Let It Go』がその曲調に反して暗いように、エルサのドレスもその明るさに反してダークなものであるというわけです。

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ダース・ベイダーはイメージに沿った色を身にまとう代表例でしょう

 鮮やかなドレスを作り上げたエルサは「Let it go!  Let it go!(これでいいのよ! これで!)」と歌いながら、さらに青いマントを作り上げます。どんどん派手になるあたり、まさにグレているといえるでしょう。

 第二の変身で捨てたはずのマントをここでまた身に着けるのは、あんな縛られた王国よりもこの自ら作った氷の王国こそが私には相応しいのだという宣言です。

 あの赤いマントとこの青いマントは対になっているのです。

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エルサは青いドレスとマントを身に着け、自分が相応しいと思う姿に変貌する。

 そして「That perfect girl is gone!(あの完璧な女の子はもういない)」と高らかに歌います。「あの完璧な女の子」は、もちろん今までのエルサのことを示しています。

 「perfect girl」は、「まだ未練のあるエルサ」の項目で説明したように「素直ないい子」であることを強いられていたエルサであり、第二形態の項目で述べた峡谷を渡る前のエルサのことなのです。

真実のエルサ

 ここで注目して欲しいのは、「That perfect girl is gone!」という台詞と共に床に映り込んだエルサを見せてからエルサ本人に視点が移っていくところです。まるで二人のエルサがいるように見えます。

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氷でできた床にエルサの姿が映っています。わざわざ描写するのですから、意味があるはずです。

 私の妄想的解釈をすれば、鏡は真実を映すと言われるように、氷は本当のエルサの姿を映し出しているのではないかと。

 本当のエルサというのは善である"いい子"の彼女です。何故、いい子のエルサが本当の彼女なのかは少し後に説明しますが、ここでは善のエルサと悪のエルサが共存していてるのではないでしょうか。そして"gone"という言葉と共にエルサ本人に視点が移動することから、善のエルサが封じ込められことを描写してるのでしょう。

 映画では、毎回エルサの姿を氷に映してはいませんが、実際は常に彼女を映し出しているはずです*6。つまり、エルサはずっと本来の自分に囲まれるような場所にいるわけですね。果たして、それが本当に居心地のいい場所なのか疑問に思ってしまいます。

レリゴーポーズ 

 そしてエルサは「私はここに立つ。陽の光の中で」と続けながら、文字通り朝日が差すバルコニーへと出てきます。

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私はこれを勝手に「レリゴーポーズ」って呼んでます

 暗い場所から明るい場所に出てくるので、非常に前向きに見えるのですが私が何度も述べているように、「Let It Go」ではそのままの描写ではありません。

 エルサ本人の心理描写としては、背負っていたものを全て捨て、成りたい自分になったのですから、正に陽の当たる場所に出る新しい門出でしょう。しかし、同時に魔女へと変貌しているのですから、決して明るい道ではないことが見てきます。

 それは次の言葉で明確に分かります。

エルサ最大の罪「無自覚の呪い」

 「Let the storm rage on!!!(嵐よもっと吹き荒れろ!!!)」

 これこそエルサ最大の罪です。

 この台詞はここまで2回出てきており、合計3回言いますが、だんだんと言い回しが強くなっていくんですよ。エルサは無意識に呪いを重ねていったのです。

 これまでは「嵐よ吹き荒れろ」と言いつつも、「吹くなら吹けば?」的なまだ軽いものだったんですが、ここでは三度目の正直と言わんばかりに力強く叫び、カメラがいっきに引いて氷の宮殿全景を映し出します。

 これはつまり、アレンデール中に嵐が吹き荒れる呪いがかかった瞬間です。

 しかし、エルサはその事実に気付いていません。

 後にアナに「アレンデールが雪に埋もれている」と言われた時に素で驚いていることからも分かります。

 だから「無自覚の呪い」なんです。

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エルサは無自覚にもアレンデールを雪で埋め尽くしてしまう

 エルサは自分の力の強大さに無頓着な上に、なりたい自分になれてテンションバク上がりな状態だったので思わず言っちゃったと。

 よく私達も自暴自棄になった時「何もかもどうでもいいわい! 世界なんて滅んでしまえ!」とか思うわけですが、当然世界なんて滅ぶと思ってませんし、本気で滅んで欲しいなんて願っていないわけです。それと一緒です。

 だからこそ、最大の罪なんですね。何もかも投げ捨てて「クソどうでもいい」と自暴自棄になり、自分勝手な思考に囚われて無意識に呪いをかけてしまう。

 それがどんな結果になるのかエルサは知る由もありません。今まで引き籠っていたエルサが、急に外で自由に振舞ったところで上手くいくわけがないんです。グレ方を知らなかった悲劇とも言えます。

少しも寒くないわ

 ついに歌の最後がやってきました。超有名な台詞であり、決め台詞「The cold never bothered me anyway(どうせ寒さなんて平気なんだから)」ですね。

 吹き替え版の「少しも寒くないわ」の方が馴染み深い人も多いでしょうか。

 これは単純に「嵐が吹き荒れようが平気よ」という身体的に寒さを感じないということでもありますが、他に「一人でも全然平気よ。だって昔から一人だったし」という意味も含まれています。

 それはもう自信満々に言ってますね。清々しいほどのドヤ顔です(ちょっと悪い顔にも見えますが)。ここはカメラ目線で言っていることに注目してください。映画では登場人物がカメラ目線になる(観客に視線を向ける)場合は、そのほとんどにおいて意味があります。フィクションの登場人物が現実世界の観客に対して語りかけることを「第四の壁を破る」っていうんですけど、ここもそれと似たようなシーンではないかと思います。エルサは国民や妹であるアナ、そして我々観客に向けて「見た?ほら、これが私なのよ」と宣言しているのです。

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戴冠式の時と比べると表情も化粧もハッキリとして、自意識の表れが見えますね。「グレてやったわよ」って。

 ここでちょっと横道に逸れまして「エルサ、ドヤ顔のジンクス」を紹介したいと思います。

 私が勝手にそう呼んでるやつなんですが、エルサはドヤ顔をすると必ず酷い目に会う(またはする)のです。

エルサ、ドヤ顔のジンクス

 まずは上記で述べた「少しも寒くないわ」の時のドヤ顔ですね。

あんなに高らかに主張したのに、この後は命を狙われるわ妹は死ぬわで散々です。

 次はこの顔。

 短編アニメの「エルサのサプライズ」でのドヤ顔です。

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完全に風邪を引いてる癖に「風邪はひかない」とか言いやがるエルサさんです

 アナに「風邪ひいてるんじゃないの?」と例のごとく図星を突かれたエルサさんは、「そんなわけないでしょう。だって寒くないし」と強がります(変わってねぇなこの人)。

 私はこの顔がこの後の醜態も相成って大好きなんですけど、毎回笑ってしまいます。

 エルサはくしゃみをしながら小さな雪だるま(スノーギーズ)を大量に生み出して国民に迷惑をかけるわ(これまた無自覚に)、熱で思考回路が崩壊してアナを心配させたりと、酷い有様です。とても女王には見えぬ……

 「エルサのサプライズ」はかわいいエルサさんがたくさん見れて好きなので、また後で感想記事でも書こうかなぁと思います。

 最後はこれ。

 『アナ雪2』の「Show Yourself」でのドヤ顔です。

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「もう準備はできているわ」とドヤるエルサさんです

 この曲ではもう魔法を使いこなしている自信満々のエルサさんですから、ドヤ顔し過ぎなんですよね。エルサがこの後どうなったか、皆さんはよくご存じなことでしょう。

 以上、「エルサ、ドヤ顔のジンクス」の紹介でした。

 完全な拒絶

 では、『Let It Go』に戻ります。

 自信満々に「ほら、寒くない」と宣言したエルサは背を向けてドアを勢いよくバーン!と閉じてしまいます。

 これは外界との完全な拒絶を表しています。「誰がなんと言おうと私はここから出ないし、話を聞きませんよーだ!」って。せっかくなりたい自分になったのにまた閉じこもってしまうとは……。やってることが基本的に変わっていない上に、今までよりも強い拒絶の意思があり、完全に逆行してますね。

 これまでは背負っていたものを捨て、自由になる様を見せていたので前向きと捉えることも可能だったのですが、背を向けて扉をバーンと閉めちゃうのはとても前向きではありませんよね。

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バッと背を向けて…

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バーン!と勢いよく、そして優雅に扉を閉めちゃいます

 ここが『Let It Go』がネガティブであるという決定的なシーンだと思います。

 いや、エルサは一人の方が楽なんだから自由でポジティブなんでは?という見方もあるとは思いますが、そうとは言い切れないんですね。

 それは「あんたホントに寒くないんですか?」問題があります。

本当に「少しも寒くない」のか?

 エルサの癖の項目で"少しも寒くないなんて嘘っぱちだ"と述べているので、どういうことかお分かりかと思うんですが、要するに単なる強がりなんですね。

 つまりエルサの本質は何も変わってないということになります。本当は寂しくて仕方なく、誰かの助けを求めているのです。しかし、エルサは自分が側にいるとその人が危険な目に会うと思っているため、心が寒くて仕方なくても一人でいないといけない、一人でも平気なんだと自分に言い聞かせるしかないんですね。*7

 それを踏まえると、エルサはまだ完全には闇に堕ちていないということも見えてきます。

中途半端な闇落ち

 これまで散々闇落ちだの魔女化だの言っておいてなんですけども、エルサは完全には堕ちていません。最初に述べたように、"まだここの"段階では。

 エルサ本人からしたら、何もかもどうでもよくなって絶望してる状態ですから、自分は悪なんだ、魔女なんだって思ってるのでしょうけども悪としては中途半端な状態です。

 それは何故かといえば、エルサが"素直でいい子"だからです。

 「え? エルサはいい子でいることを強いられていたんだから、魔女であることが本質なんじゃないの?」と疑問を抱いたかと思います。

 違うんです。「真実のエルサ」の項目で、床に映ったエルサが本来の彼女だと述べたように、エルサは本当にいい子で優しいんです。

 エルサが閉じこもった理由はアナを傷つけないこと、そしてこれ以上自分の魔法で悲劇が起こらないようにするためです(パビーの見せた幻でエルサ自身にも危険が及ぶ可能性を見せられたというのもあるでしょうけど)。だから、制御できるまでは手袋をはめて誰にも会わないようにしていたんです。両親に言われたというのももちろんありますが、最終的にそれを決断したのはエルサ自身です。

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エルサは自ら扉を閉める

 そう、彼女は自ら牢獄に入ったんです。愛する人を守るために

  いつ自由になれるかも分からないのに、自分を犠牲にして魔法を秘密にしていようと必死に頑張ってきたのです。魔法の力があれば「こんな生活クソくらえだ!」っていつでも逃げ出す事ができたはずです。でも、それをしなかったのは彼女が愛と優しさに溢れた人間だからです。

 しかし、悲しいことにエルサ本人は自分の魔法で大切なアナを傷つけてしまったという事実、そして両親やパビーの誤った行動によって、こんな危険な力を持っている自分は悪い人間なんだと思い込んでしまいました。

 だから、エルサは「いい子でいなくちゃ」とずっと自分自身に言い聞かせていたんですね。そんな必要ないのに。

 ずっとずっと頑張ってきたのに魔法がバレてしまって、化け物とか言われ、国民には怖がられ、必死に守ってきたアナはといえば変な男を連れてきて「会ったばかりだけど結婚する」とか言い出し、話も聞いてくれないし、おまけに「何をそんなに怖がってるの?」と確信を突かれたら、そりゃあグレたくなりますって。

 そして「もういいわよ! だったら本来の悪い人間になってやるんだから!」と開き直って、この魔女の姿こそが本当の自分なんだと宣言しちゃうと。

 でも、人が良すぎるせいで完全には悪に堕ちきれなかったんですよね。やったことといえば、夏のアレンデールを極寒の冬に変えたくらいです。

 いや、充分に悪いことなんですけどね! クリストフのように商売に影響が出てしまう人もいますし、私が最大の罪だと述べたようにこの後どんどん嵐は強くなりますので。

 だけど、まだ引き返せる段階ではあるんです。だって、殺人を犯したとか取り返したのつかない罪を犯したわけではないんですから。夜の校舎の窓ガラスを壊して回った程度のもんです(これも悪いことですけど!器物損壊罪に成りますから!)。寒さで死んだ人もいるんじゃないかと考えられなくもないんですが、オーケンの店で呑気にサウナに入ってる家族とかがいるように、案外みんなたくましく乗り越えたんじゃないかなと思います。

 それに本気で国を雪で覆うつもりはなかったからこそ、この後それを知った時にめちゃくちゃ後悔しちゃうわけで。

 完全に堕ちた人間は、自分のしでかしたことに後悔なんてしませんからね。まだ善の心が残っている証拠です。

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アナと対話できる余地があった点からもしても、元の彼女は残っていると言えます。

 扉をバーン!と閉めてしまったのも、自分も他人も守るにはこうするしかなかったというか、ずっと引き籠ってきたエルサはそれしか方法を思いつかなかったんですね。扉を開いて失敗したのだから、ならもっともっと強く引き籠ってやろうと。

 エルサも周りも間違い続けた悲劇であるといえます。『アナ雪』はこの間違いを清算する話でもあるのですが、それは後編の方に回すとします。

 

 これで前編である、【第一『Let It Go』】の解説は終わります。年甲斐もなくグレちゃったエルサさんがおわかりいただけたでしょうか?

 とても多くの意味が込められていて、ポジティブな曲というわけではないことが分かります。なので、日本語吹き替え版の歌詞は変えられ過ぎていて適性ではないんです。少なくとも"この時点"では(重要な部分なのでよく覚えておいてください)。

 後編ではここでの解説も踏まえつつ、エルサさんの更なる掘り下げともう一つの『Let It Go』について迫っていきますので、引き続きよろしくお願いします。

 

→後編です

 

mousoueigablog.com

 

参考資料

*1:アナの事故直後に部屋に入ってきた時に「もう手に負えない」と発言していることから、元々魔法を危険だと思っていた可能性はあります。両親の描写については2でフォローが入りましたが、1作目の時点では明らかにエルサの魔法を恐れていたと私は解釈しています。

*2:スター・ウォーズ』を代表するキャラクターの一人。何世紀にも渡って生き、知恵と技能に長け、多くのジェダイを導いてきた偉大なジェダイマスター。しかし、シスの暗黒卿パルパティーンの暗躍を見破る事ができず、銀河帝国誕生を阻止することができなかったり、アナキンの悩みにいつものジェダイ的説教をするだけだったりとポンコツな面も目立つ。

*3:自己、自我

*4:スター・ウォーズ』EP1~EP3の主軸となるキャラクター。正義のジェダイだったが、暗黒面に引き込まれ、悪の化身ダース・ベイダーへと変貌する。しかし、後に実の息子の"真実の愛"により、再び善の心を取り戻す。

*5:『アナ雪2』の精霊エルサのことです。

*6:特定のシーンでのみ描写するということは、それに明確な意味があるということになります。

*7:公式本である「THE ART OF アナと雪の女王」や「アナと雪の女王 ビジュアルガイド」などのエルサのキャラクター紹介で「誰かに助けて欲しい。側にいて欲しいと思っている」とありますので、そのようなキャラクターとして描いているのは間違いありません。